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織田信忠の最期

2020年07月18日 17:04

206 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/07/17(金) 22:37:35.86 ID:WYpM/PiB
織田信忠は本能寺にて父・信長が明智光秀に襲われたことを聞かれると、自身も父とともに本能寺へ
籠ろうと出られたが、そこに村井長春(貞勝)親子三人が参上し、
「本能寺ははや火が懸かり、事終わりました。また妙覚寺へ帰られるべきでも有りません。
二条の新御所へお籠りに成るのが尤もです」
と言上したため、則ち二条へ移られ、親王若宮を内裏へ移し奉った。しかし寄手も襲ってこないため、
「安土に移られ、その上で惟任を御退治されるべきです。」と各々言上した。
だが信忠はこう言った

「これほどの謀反の企てをする奴原が、どうして京の口々に手を廻さずにいるだろうか。安土に向かう途中で
相果てるのは無念である。徒にここを退くべきではない。」

これに近臣の毛利新左衛門、福富平左衛門、菅屋九右衛門たちが「尤もの御諚」と申したため、信忠の
言うとおりに定まった。

しかし実際には、惟任はこの行動を深く隠密に行っていたため、路地に人を置くと言った事は成されておらず、
安土に移ることは問題なく行えたのであり、これも御運の末であったのだろう。

午刻(午後0時ころ)に及び、惟任は一万ばかりにて押し寄せた。二条に籠もった人々は、坂井越中守、團平八、
斎藤新五、野々村三十郎、赤座七郎右衛門、猪子兵介、塙伝三郎、飯尾茂介、村井長春親子三人、
菅屋九右衛門親子三人、毛利新左衛門、織田源三郎を始めとして、屈強の衆六十五人、もとより身命を惜しまず
相戦ったため、暫く抗戦が続いたが、その後寄手は隣家に上り弓鉄砲を以て攻めたことで、信忠は切腹された。
鎌田吾郎左衛門が介錯し、その御遺骸は遺言に任せ、焔の中へ入れ奉った。歳二十六であった。

この鎌田は追腹を切ると言ったのだが、どうした訳か終に切らなかった。
右の六十五人の内、討ち死にした者は六十三人であった。
織田源五(信長弟有楽)は逃げ出た。時の人はこれを悪んだ。

当代記



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    ここで信忠が形振り構わず逃亡した後の姿があれば、織田家も違ったんでしょうね
    個人的にはこの後の秀吉と信忠の関係を見て見たかった

  2. 人間七七四年 | URL | -

    本圀寺だと援軍がくるまで籠城して守り切っているから間違った判断というわけではないがな、
    誰が味方かもわからないし、下手に逃げ込んで小山田みたいになったらそれこそ死んでも死に切れん
    >>1
    ホモを疑われるくらい仲良しという逸話しかなかったような

  3. 人間七七四年 | URL | -

    信忠はかつての父みたいに必死に逃げて生き残るよりかっこよく死ぬ方を選んだ、しょせんそこまでの器って言われたりするけど、
    後世人は光秀のガバガバ計画っぷりを知ったうえで見てるから早まったってわかるのであって信忠の目線に立ってみれば※2みたいな考えがあっただろうからこの判断で無能扱いはやっぱ酷だよなあ
    事前察知なんかしようのない突発特攻謀叛に当事者の身でベストな対応しろってのは無茶ぶりすぎる

  4. 人間七七四年 | URL | -

    織田家の二頭が一か所に集ったのがそもそもの間違いなんだよな
    一度に刈り取れる機会はもう二度とない
    本能寺の一報を聞いたらそのまま安土まで駆けるのが後から見たら正解かもしれん

  5. 人間七七四年 | URL | -

    親父だったら安土まで逃げまくっただろうね

  6. 人間七七四年 | URL | -

    ※4
    摂津へ逃げる→中川・高山の動向がわからない
    大和へ逃げる→行先には明智与力の筒井
    河内へ逃げる→堺まで逃げれば丹羽がいる
    丹波へ逃げる→光秀のお膝元
    越前へ逃げる→朽木の動向がわからない
    近江へ逃げる→安土まで逃げれば山岡兄弟がいる

    うーん、南か東の二択だが本拠地岐阜にも落ちられる安土が一番かな

  7. 人間七七四年 | URL | B7aCswa6

    別に常に正解を選べとかじゃなく少しでも生存の確率を上げる努力をするべきだと思うけど
    当時と今とじゃ価値観そのものが違うし仕方ないか

  8. 人間七七四年 | URL | -

    ※7
    生き延びる確率って話なら二条籠城と脱囲作戦のどっちが高いかなんてわからんし

  9. 人間七七四年 | URL | -

    もし味方なら一日籠城できれば来るだろうしな

  10. 人間七七四年 | URL | -

    ちなみに家康はこのことを踏まえて敢えて秀忠を江戸に帰してる

  11. 人間七七四年 | URL | -

    逃げた織田有楽は、武士としては卑怯者と言われて政治生命を絶たれたし、立場上逃げちゃだめだ、って場合もあるしな。
    事に信忠の場合は、父の信長の安否がわからないうちに逃げちゃうと、親を見捨てた不幸者よと言われかねない。
    信雄が父の仇討ちに加わる事ができず、逆に名目だけでも大将を務めた信孝の後塵を拝することになった事を鑑みると、結構致命的な汚名になるんじゃないかな。
    仮に首尾良く信忠の手で仇が討てても、大きな瑕疵になっただろうし、逃げる途中で討ち取られたら目もあてられないし、信忠の立場考えると、逃げられない気持ちもわかるかな。

  12. 人間七七四年 | URL | -

    親の仇を目の前にして逃げるなんてなかなかできることじゃないよ

  13. 人間七七四年 | URL | -

    ※11
    池田輝政も父と兄が死んだ時に自分も死ぬ気満々だったよね
    結局家臣が機転を利かせて「もう落ち延びました」と誤魔化して事なきを得たが

  14. 人間七七四年 | URL | -

    となると、この状態で信忠が脱出するには
    村井親子が「上様は本能寺を抜けて~へ落ち延びられました」と偽りを言って脱出を勧めるか、
    二条御所籠城準備中に近習の何人かに安土方面へ物見させるかする必要があったかな。
    せめて瀬田の山岡まで連絡がつけばその先が手薄だというのはわかっただろうに。

  15. 人間七七四年 | URL | -

    ※11
    親を追放した信玄は親不孝者と言われても名声を得ているし、武士としては逃げて仇を殺すほうがいいと思うけど。

  16. 人間七七四年 | URL | -

    愛知県が首都になるラストチャンスだった

  17. 人間七七四年 | URL | -

    ※13
    その逃がした家臣達が酷い目に合ったけどね・・・
    結局輝政死ぬまで加増なしとか、家臣達もよく耐えたわ

  18. 人間七七四年 | URL | eYj5zAx6

     鎌田新介は井戸の中に隠れて明智軍の捜索を免れて、夜になってから脱出に成功したそうですが。

     上杉謙信も子供の頃に重臣の黒田秀忠が謀叛して春日山城が襲撃された時、異母兄二人が殺害されても御殿の床下に隠れて生存したという真偽不明な伝承があるので、ひょっとしたら信忠も一緒に井戸に隠れていれば……。

     これも結果論で、実際には直前まで腹切る気だったのが咄嗟に井戸に隠れて、見つかったら即座に自害する気が幸運にも気づかれず、夜陰に紛れて落ち武者狩りにも遭わずに助かるとか。想定しろというのが無理ですから。

     ……源頼朝なら隠れただろうな。

  19. 人間七七四年 | URL | -

    維新の元勲達も明治初期の暗殺の嵐の時に
    ボディガードを付けたり通勤路を変えたりするのは武士にあるまじき行為と捉えていたみたいですね
    横井小楠も尊攘派の襲撃を受けた際に逃げたのを終生非難され一時は政治生命も失っている
    後世から見るとなんとしても生き残るべきと思うが、武士である以上本人の価値観が一番大事だわな

  20. 人間七七四年 | URL | -

    早合点あるまじき事

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