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週間ブログ拍手ランキング【07/16~/22】

2020年07月22日 19:19

07/16~/22のブログ拍手ランキングです!


本能寺の変後、顛末 10

竜造寺隆信は念入りに世の転変を了簡した 8

『当代記』より、本能寺の変 7
織田信忠の最期 6
六月十三日に相果て、跡形も無くなった 6

恵林寺焼き討ちの事 5
これによって柴田は敗北した。 4


今週の1位はこちら!本能寺の変後、顛末です!
本能寺の変後の、家康、秀吉、光秀の動向がまとめてありますね。色々と興味深い内容で、秀吉と家康の一種の競争に成っています。
家康が三河に着いてからの動きが遅いのは、それだけ軍勢を集結させるのに時間がかかるということなのでしょう。
既に軍勢を形成していた秀吉のアドバンテージというものも考えさせてくれます。
そして毛利を普通に「森」と呼んでいますね。他の近世初期の書物などにもこう言った例は見られますが、当時は「森」と「毛利」は
ほぼ同名字と考えられていたようです。また毛利も「モウリ」ではなく「モリ」と発音していた模様で、このあたり、それだけでも
ちょっと印象が変わってきますね。発音で言えば、当時は織田も「オタ」、伊達も「イタテ」だったとも言われます。
そんな事も思い起こさせた内容でも有りました。

2位はこちら!竜造寺隆信は念入りに世の転変を了簡したです!
こちらは龍造寺隆信がこの頃毛利に属していたことを表した内容ですね。ここでは毛利という以上に、当時毛利の保護下にあった
将軍足利義昭に従ったことが強調されています。これを見ると、たとえ実際には様々な力関係からの服属であったとしても、
将軍という権威を挟むことで、体面を無駄に下げず、むしろ正当性を主張できる効能があった事が察せられますね。
ただ、この『肥陽軍記』は江戸期に成立したもので、その時代は当然、徳川将軍が強大な権威と権力を保持していた事を
考えると、ここで強調される「将軍」への忠誠は、暗に徳川将軍を意識した描写なのかもしれません。
そんな事も考えさせてくれた内容だと思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!織田信忠の最期です!
現在でも、歴史好きの人たちの間でしばしばIFとして語られるものの一つに、「本能寺の際、織田信忠が生きていれば」という物は
間違いなくありますね。そういった議論の生まれる元の一つとして、この当代記の記事があると考えられます。
『実際には問題なく京から脱出できた』と言い切っていますからね。
ただ実際には、コメントの方でも様々に語られていますが、事態を把握していない以上、逃げるということは留まる以上に
リスクが有る、という信忠の判断もある意味正しかったのでしょう。仮に逃走の途中で補足され討ち取られては、
本当にただただ恥辱でしかなく、留まって切腹したほうが名誉を保持できる、という発想は、当時の武士としてそうおかしな
ものではありません。その意味でも、信忠は運が悪かった、あるいは運が尽きていたと言えるのかもしれません。
こう言った場合「信長ならどうしていたか」という議論もあったりしますね。
色々と想像や議論を膨らませてくれる、そんな内容だと思いました



今週もたくさんお拍手を、各逸話に頂きました。いつも本当にありがとうございます。
また気になった逸話を見つけた時は、そこの拍手ボタンを押してやってくださいね!
(/・ω・)/
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