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秀吉との関係はいよいよ入魂となった

2020年07月22日 19:22

410 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/07/22(水) 01:30:15.54 ID:bZEQKy47
天正十四年十月、徳川家康公が御上洛された。この時「もし上洛出来ないのであれば、秀吉の妹(朝日姫)を
返した上で、干戈に及ぶ。」と一途に宣わり、殊に秀吉公は御袋(大政所)を岡崎まで下向されたため、
疑心無く上洛され、秀吉との関係はいよいよ入魂となった。これによって、家康公北の方(朝日姫)は
浜松より岡崎にお出でになり、御袋と対面し、悦ばれた。秀吉公も家康公の上洛を快悦され、刀脇差、
並びに数寄道具(何れも値千金の物也)を進ぜられたと云う。
家康公が下向されると、大政所も帰洛された。

秀吉家康が入魂した事に、小田原の北条氏政父子は心底不快であったと云われる。

当代記



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | 93vhRd.Y

    朝日姫(駿河御前)の墓所が東福寺にあるということを、だいぶ以前にその場で偶然知ってお参りしたことがあります。臨済宗に帰依していたということは最近知ったばかり。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    本多作左が大政所と朝日姫の宿所の周りに薪積んだ、ってのは同時代資料にあるのかな
    あったら「豊徳入魂」どころじゃないと思うが

  3. 人間七七四年 | URL | -

    実際作左がやらかしてても家康が怒って処分したなら丸く収まったということになるんじゃない

  4. 人間七七四年 | URL | -

    本多作左が蟄居セざるを得なくなったのは豊臣家に出した人質を無断交換したのが原因だしね
    それまで何の問題も無かったのだし柴を積み上げたとかは後世の脚色っぽいと思うんだがなぁ

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