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慶長元年の災害

2020年07月29日 16:25

236 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/07/29(水) 13:33:05.82 ID:D/tYIpMV
慶長元年、春中雨細々と降り、五月中旬より六月二十六日まで露(梅雨)に入った。
この春は雪が節々と降り、四月四日にも雪が降った。

五月九日、尾濃で洪水。六月十九から二十三日、甲信関東で洪水。百年以来の大水と言われた。
知行の損亡は数を知れず、武州の内葛井(葛西)・浅草にて、人三、四百人が溺死した。
その他牛馬も数を知れず死んだ。この時節も、上方にはさほどの事はなかった。

六月二十七日から七月七日まで旱。翌八日よりまた降雨。六月十四、十五日頃彗星出る。
七月二十八日より閏七月二日まで旱。翌三日より九日まで降雨。この九日に俄に水が出て、
山崩れ人が死んだ。この水は所による。

閏七月十二日の夜、子の刻(午前0時頃)に、上方大地震。京中は三条より下、伏見まで家損人死、
上京は無事であった。
伏見御城中にて上臈七十三人、中居下女五百人が死んだ。一の門、三門の番衆は、門が崩れ悉く死んだ。
この時太閤(秀吉)は中の丸に御座在ったが、その身は無事であった。
諸大名の家々も倒れた、人が死ぬこと限りなかった。

大阪、堺も同前で、伏見城殿主石垣は一つも残らず崩れた。大仏殿は無事であったが、中の大仏は
破損した。愛宕山坊中も倒れ、所々より上がった真壺(ルソン壺)の過半も破損した。
この六,七月、閏の間、上方は降雨で。五穀豊かに実った、
この地震で、関東駿遠、何れも東では揺れなかった。

前の七月の浅間山の噴火のように、西の方に噴煙が流れ、これ故か、近江、京伏見ではその頃
灰が細々と降り、それ故か秋毛は少々凶作と云われた。信濃などではこの灰が一寸ばかり積もった。
関東には灰は降らなかったが、但しここでも同秋凶作と云われた。

当代記

慶長元年の災害について。



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    当時の感覚からすると為政者の責任を問いたい気分だったろうな
    秀吉に政治責任を問える人間など存在しないという点を除けば

  2. 人間七七四年 | URL | -

    数十年、百年に一度の災害だと毎年のように書いてて大げさだよなあ
    やれやれ

  3. 人間七七四年 | URL | -

    ※1
    天災が日常茶飯事の日本で、そういう発想有るかなぁ。
    中国だと、徳の無い皇帝のせいとか、天命とかそういう発想かもしれないけど。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    こういう歴史とかよく読んでいたり気象状況で○○年ぶりの被害!って報道とか見るとさ…
    寧ろ戦後から阪神大震災までの比較的平穏な日本の気候(地震等)の方が異常だったんじゃね?と思うことがある
    日本が結構記録が残っているけど戦乱や政変で記録が消失したり軍事情報として秘匿された過去があるし
    精密な記録が残り始めたのは戦後からで、たまたまその時期が平穏な40年が来てただけで
    今の毎年どこかで荒れる天候のほうが日本の気候の常態じゃないかな

  5. 人間七七四年 | URL | -

    異常気象の定義は、過去30年の気候と比較して著しい現象と定義されてるので、
    30年間、激しい気象が発生すれば、それは通常のお天気になります。
    “〇年に一度”という表現は、気象庁が確立降水量という過去データの平均と頻度から統計的に出してるので、
    ボジョレーヌーボーの、その年の評価みたいないい加減さではないです。

  6. 人間七七四年 | URL | -

    異常な気象や飢饉が続いた場合改元なりはする訳で
    やはり何かが悪いからこんな事が起こるって考えは古今東西共通では

  7. 人間七七四年 | URL | -

    天災が相次げば不安になるからな
    飢饉などにつながっていないからうまく対応していたんだろうけど

  8. 人間七七四年 | URL | -

    疫病だけでもこんなに混乱してるのに、これに飢饉と大災害まで加わったらそりゃどんな軍事政権でも崩壊するわなあ

  9. 人間七七四年 | URL | -

    いや秀吉の時は飢饉すら起きていないよ
    江戸時代と違って全国的な政権で流通網が整備されていること、各地に蔵入り地が置かれている
    それによって豊凶による収穫量の増減による米価の差異で豊臣政権は巨利をえていた、
    それは同時に収穫の多いところから少ないところに積極的に食料の移転になり飢饉を防ぐようになっていた
    また震災復興ということで莫大な金を使って公共事業を行う事で都市の貧困層にも仕事を与えて生活の改善も行っている
    だから民にはなんの被害もなく大遠征が続けられていたわけ

    江戸時代は購買力のある江戸が買い占めてしまい、飢餓輸出になっていた状況とは異なっている

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