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さかりなる 都の花は散りはてて

2020年07月30日 18:08

420 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/07/30(木) 16:09:11.36 ID:Y1GqvNF1
慶長元年の頃、江戸に住む米津清右衛門(家康公近習)の妻女が夢想の中で次のような歌を詠んだ

 さかりなる 都の花は散りはてて 東の主が世をは次へし

この女は歌道を聊かも弁えていない人物で、奇特なことだと言われた

当代記



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    町人とかだったら意味深だけど家康近習の妻女とか.....

  2. 人間七七四年 | URL | -

    慶長元年は1596年辺り。

    1593年江戸城の本格築城
    1595年秀次が処刑
    1596年朝鮮征伐の再開
    1598年秀吉死去

    徳川は江戸開拓で朝鮮は関係ないし、
    秀次処刑で秀吉体制の陰りは、徳川の下級でも、囁かれてただろうし、
    予言の類いとは言えず、徳川の家来の認識では当然の世相かもね。
    あとから、天命とか運命とか、徳川政権の正当性を与える為の盛った話でしょ。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    初見では読めないヨネキツさんだww
    この時期の米津清右衛門は、米津常春の子で米津正勝がいるけど、この人は堺奉行等を歴任したいわゆる能吏なのだ。
    …が、不正を咎められて罷免された後、大久保長安に連座して大坂の陣直前に斬罪に処されたという曰く付きの人物なのだ。
    不思議な話を盛りやすそうな、真偽を糺す事の出来ない絶妙な人選に思えるね。

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