449 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/08/18(火) 18:23:32.60 ID:rP7c6Hcr
『駿府記』から権現様の老いてなお元気な話や怪奇話、珍しい贈答品の話(悪い話を含む)
慶長16年
8月13日、朝、御浅間に出られ、鉄砲を放たれた。的を2町より遠くに置かれ、的に5度も当たった。近侍の者はみな、当たらなかった。
午刻に前殿の櫓の上に鳶が止まっていた。鉄砲を放たれ、3発とも当たった。鳶2羽を撃ち落とし、1羽は足を撃たれて飛び去っていった。距離は50間だったという
(江戸在府中の)9月19日、海上に白鳥が多いことを大御所が聞こし召され、鉄砲の上手な家臣を数人召し連れ出御されたが、風波が悪く、お船が揺れ動き、照準が定まらないので還御された
慶長17年
2月3日、遠州堺川にて鹿狩り。およそ5、6千人を引き連れ、大御所は鉄砲の巧みな者数十人を供にして撃たせた。イノシシ2、30頭を捕獲した。大雨が降ってきたので狩りを中止し、浜松に到着した
12月20日、「寒食」(古代中国で、冬至から105日目に、火気を用いないで冷たい食事をしたこと)として麺料理を出したところ、お気に召さなかった。与安法印が策を練り、ショウガ汁を多くして麺を柔らかくしたところ、ご機嫌が直った
同月26日、藤堂高虎と細川忠利がお目見え、島津忠恒は「焼酒(アハモリ、琉球酒)」2壺と砂糖5桶を献上した
慶長18年11月18日、鷹狩り。路地において百姓が目安を差し出したので、代官深津八九郎と百姓を御前において対決させ(遂対決)、直に訴えを聞いた。すこぶる代官に私曲があったのですぐに代官の職を召し上げた(24日にも目安あり)
慶長19年4月5日、駿府面前の浜で亀に似た肴が引き揚げられた。漁師が20人あまりで担いで持ってきた。背中は黒く亀甲のようで、頭は犬の顔のよう、尾は三つ叉になっており、大きなひれがあり、腹の色はぶちだった。諸人がこれを見た
12月、このたび、平野の御殿を阿部正次が普請したところ、小壺1個が出土した。壺の中には黄金30両、「金具」9塊、南鐐(美しい銀)100両が入っていた。伊丹康勝が持ってきて語るには「5、60年前に埋めたものではないでしょうか」。発掘された金は阿部が賜った
慶長20年11月10日、大御所は越谷に渡御されたが、お鷹場に水が溜まっており、鷹狩りはなされなかった。このため代官が勘気を被った
12月9日、引き続き中原に逗留。御小人頭の稲垣権右衛門を誅殺した。鷹狩りのときに御鷹を損じたからである
450 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/08/19(水) 11:45:50.55 ID:SM/T+GPd
>背中は黒く亀甲のようで、頭は犬の顔のよう、尾は三つ叉になっており、大きなひれがあり
マンボウか何かだったのかな
451 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/08/19(水) 12:57:48.29 ID:ChT2jncQ
家康は大将は自ら戦うものではないとか言ってたと思うが、鉄砲が上手かったというのはほんとなのかね?
とこで学んだんだ?
455 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/08/20(木) 00:06:44.13 ID:gTXp9QmS
>>451
一揆の頃は自らノリノリで戦ってたよ。人手不足だったんだろうけど
鬼武蔵を打ち取る鉄砲の名人もいるし
教える人はごろごろいたんだろ。
『駿府記』から権現様の老いてなお元気な話や怪奇話、珍しい贈答品の話(悪い話を含む)
慶長16年
8月13日、朝、御浅間に出られ、鉄砲を放たれた。的を2町より遠くに置かれ、的に5度も当たった。近侍の者はみな、当たらなかった。
午刻に前殿の櫓の上に鳶が止まっていた。鉄砲を放たれ、3発とも当たった。鳶2羽を撃ち落とし、1羽は足を撃たれて飛び去っていった。距離は50間だったという
(江戸在府中の)9月19日、海上に白鳥が多いことを大御所が聞こし召され、鉄砲の上手な家臣を数人召し連れ出御されたが、風波が悪く、お船が揺れ動き、照準が定まらないので還御された
慶長17年
2月3日、遠州堺川にて鹿狩り。およそ5、6千人を引き連れ、大御所は鉄砲の巧みな者数十人を供にして撃たせた。イノシシ2、30頭を捕獲した。大雨が降ってきたので狩りを中止し、浜松に到着した
12月20日、「寒食」(古代中国で、冬至から105日目に、火気を用いないで冷たい食事をしたこと)として麺料理を出したところ、お気に召さなかった。与安法印が策を練り、ショウガ汁を多くして麺を柔らかくしたところ、ご機嫌が直った
同月26日、藤堂高虎と細川忠利がお目見え、島津忠恒は「焼酒(アハモリ、琉球酒)」2壺と砂糖5桶を献上した
慶長18年11月18日、鷹狩り。路地において百姓が目安を差し出したので、代官深津八九郎と百姓を御前において対決させ(遂対決)、直に訴えを聞いた。すこぶる代官に私曲があったのですぐに代官の職を召し上げた(24日にも目安あり)
慶長19年4月5日、駿府面前の浜で亀に似た肴が引き揚げられた。漁師が20人あまりで担いで持ってきた。背中は黒く亀甲のようで、頭は犬の顔のよう、尾は三つ叉になっており、大きなひれがあり、腹の色はぶちだった。諸人がこれを見た
12月、このたび、平野の御殿を阿部正次が普請したところ、小壺1個が出土した。壺の中には黄金30両、「金具」9塊、南鐐(美しい銀)100両が入っていた。伊丹康勝が持ってきて語るには「5、60年前に埋めたものではないでしょうか」。発掘された金は阿部が賜った
慶長20年11月10日、大御所は越谷に渡御されたが、お鷹場に水が溜まっており、鷹狩りはなされなかった。このため代官が勘気を被った
12月9日、引き続き中原に逗留。御小人頭の稲垣権右衛門を誅殺した。鷹狩りのときに御鷹を損じたからである
450 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/08/19(水) 11:45:50.55 ID:SM/T+GPd
>背中は黒く亀甲のようで、頭は犬の顔のよう、尾は三つ叉になっており、大きなひれがあり
マンボウか何かだったのかな
451 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/08/19(水) 12:57:48.29 ID:ChT2jncQ
家康は大将は自ら戦うものではないとか言ってたと思うが、鉄砲が上手かったというのはほんとなのかね?
とこで学んだんだ?
455 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/08/20(木) 00:06:44.13 ID:gTXp9QmS
>>451
一揆の頃は自らノリノリで戦ってたよ。人手不足だったんだろうけど
鬼武蔵を打ち取る鉄砲の名人もいるし
教える人はごろごろいたんだろ。
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コメント
人間七七四年 | URL | -
昔は本当に簡単に人が殺されるし、しょっちゅう変なものが出てくるな
( 2020年08月18日 19:05 )
人間七七四年 | URL | -
最後に出てくる越谷の鴨場は宮内庁鴨場として現存しています(越谷民)
( 2020年08月18日 19:34 )
人間七七四年 | URL | -
トドかアザラシか?
代官は罷免で済んだのに、誅殺された人はよっぽど怠慢でもあったんだろうか。
( 2020年08月18日 20:02 )
人間七七四年 | URL | -
小人頭だから普代でしょ?そんな立場が鷹を失った(もしくは傷つけた)
ことで誅殺されたって余程の不手際があったのかな?
( 2020年08月19日 06:26 )
人間七七四年 | URL | -
>背中は黒く亀甲のようで、頭は犬の顔のよう、尾は三つ叉になっており、大きなひれがあり
アザラシかな?
( 2020年08月19日 10:22 )
人間七七四年 | URL | -
氏真「俺のヘソクリだ!返せ!」
( 2020年08月19日 11:11 )
人間七七四年 | URL | -
重里「俺の埋蔵金だ!返せ!」
( 2020年08月19日 12:04 )
人間七七四年 | URL | -
>島津忠恒は「焼酒(アハモリ、琉球酒)」2壺と砂糖5桶を献上した
焼酒、琉球酒と言う名はそれ以前にも出てきてるらしいが、この記述が
泡盛(あわもり)の呼び方の最初らしいで
( 2020年08月19日 16:59 )
人間七七四年 | URL | -
やっぱり掘り出した者に権利があるのかね(素朴な疑問)
届け出ないで猫ババしないんだな
( 2020年08月19日 18:49 )
人間七七四年 | URL | -
家康は実際は短期で癇癪もちと言われているからね
老齢であるし我慢できなくなっていたんだろう
( 2020年08月19日 20:33 )
人間七七四年 | URL | -
慶長20年7月に改元されているんだが……
( 2020年08月20日 04:32 )
人間七七四年 | URL | -
深海サメの一種じゃなかろか?
( 2020年08月20日 19:36 )
人間七七四年 | URL | -
20人で担ぐサイズからしてトドか?
( 2021年04月01日 15:09 )
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