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ノサ・セニョーラ・ダ・グラサ号事件

2020年08月24日 18:04

460 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/08/23(日) 22:43:10.86 ID:cj6DY8oA
慶長十四年十二月九日、去年、長崎の有馬修理(晴信)の被官達が遣わされ、明朝のあま川(マカオ)に
商いのため渡海した所、かの所のシンニヨロ(商人)并びにカピタン(是は船頭司)たちが、

「あま川の売買の様子を日本人が知ってしまえば、重ねて黒船(ポルトガル船)が長崎に着船しても、
利を得ることが難しい」

と考え、日本人三百余人を一ヶ所に呼び入れ、悉く焼害した。

この報復として被害に相当する黒船を討つべきであると、有馬修理は駿河に於いて徳川家康に訴えた。
殊に日本人を焼害したシンニヨロ、カピタンが来朝しており、幸いにかの船を計り呼んだものの、彼らは
上陸しようとせず、料簡に及ばないため、船を改造し、干戈を以て討ち果たす用意が有った。

しかし有馬のこの計画を黒船の唐人たちは見知して、この日九日に俄に船を出し逃走を図り、
十二、三里程漕ぎ帰った所、風たちまち起こって十里ほど吹き返され、”ゆわう”という所に黒船は
上がった。この間に、有馬修理は改造した船を漕ぎ寄せ、井楼を上げ黒船に漕ぎ寄せると、
素より案内が有ったため、塩硝の保管してある場所へ火矢を打ち込んだ。このため黒船は忽ち焼亡し
沈没した。前代未聞の次第であった。

(中略)

この黒船は水上の部分ばかりが焼け、水に浸かっている部分は沈んで今もその場所にあり、
二十五尋(約三十八メートル)ほどの水深に船の沈んだ部分はあった。
このため、海士たちを召し寄せ、この船に綱を付け、引き上げる事が計られた。

この船の内部には、銀が三千貫目ほど有り、印子はいかほど有るかも知れぬほどで、糸(生糸)は
少々浮き上がったのを取って、駿府への使いに持参させた。

当代記

「ノサ・セニョーラ・ダ・グラサ号事件」についての記事ですね。



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    やられたらやり返す、等倍返しだ!

    なお本人じゃなくてただの犯人と同郷の人に報復するのもOKな模様
    これも室町しぐさかな?

  2. 人間七七四年 | URL | -

    ※1
    近代初に至るまで世界中(イスラム世界では今現在も)の常識なんですがそれは
    敵対行為の対象として戦闘員と非戦闘員、統治者と非統治者を分けて考えるようになるのなんて、実質的に19世紀後半に入ってからでしょ

  3. 人間七七四年 | URL | -

    ※2
    外交上の相互主義やないねん
    ワイが言いたいのは中世日本特有の喧嘩両成敗法のことや

  4. 人間七七四年 | URL | -

    腹が立ったけど、ちょっとスッとした。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    せっかく活躍した有馬氏もこれが身を滅ぼす遠因になるとはね

  6. 人間七七四年 | URL | -

    某合衆国「は?軍人と民間人の区別なんてした事ありませんが?」

  7. 人間七七四年 | URL | -

    連帯責任だから仕方ないね

    誰かが罪を犯すと共同体まるごと潰される
    城兵なで斬り酷いとか言われるけど、近隣の村々にいる城兵の縁者まで連座でなで斬りにしてこそ
    この時代というもの

  8. 人間七七四年 | URL | -

    岡本大八事件の顛末まで含めて有馬をけしかけた徳川の陰謀…は流石にないか

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