08/20~/26のブログ拍手ランキングです!
桶狭間、長篠(と本能寺)裏話 19
曲直瀬道三の治療記録 9
大事な油道服を着ていても、それではねえ 9
ノサ・セニョーラ・ダ・グラサ号事件 8
梅雪様の申しようはごもっともです 7
厳島の祟 6
猿澤の池変え 5
必ず義龍の首を取って道三に手向ける 5
ノビスバンとの交易 4
殊ノ外ホメ奉ル 4
今週の1位はこちら!桶狭間、長篠(と本能寺)裏話です!
織田信長の近習であった湯浅直宗についてのお話ですね。湯浅のような信長、あるいは信忠の近習層は本能寺の変で
多くが討ち死にしており、信長が特に選びぬいた、忠勇な人物が多かったとされるこの層の大半が一度に消滅したことも、
織田政権にとっての痛打であったと思います。仮に本能寺の変がなかった場合、織田政権の中枢は、彼らによって
占められていたと考えられるからです。
ここに表れている湯浅の活躍を見ても、彼らがやがて政権の中でどのような働きを成したのか、そんな事を想像
させてくれる内容でした。
今週の2位はこちら!曲直瀬道三の治療記録です!
名医として有名な曲直瀬道三の診療記録ですが、やはり酒にまつわる体調の悪化が目に付きますね。このあたりはやはり、
様々なプレッシャーから酒に逃げる、という面もあったのでしょう。
また慶長3年の時点で淀殿が既に気鬱を訴えていることも目を引きます。彼女は関ヶ原後もこう言った症状が散見され、
それを以って家康、徳川政権からのプレッシャーに苛まれていた、などとも言われるのですが、これを見ると、淀殿の
一種の持病であった可能性もありますね。
これだけでなく、当時の記録を見ると、大名もやはり、しばしば体調を崩し、、病みついた事が見られ、医学の発展していない
当時としては多くが自然治癒に頼ったことを考えると、病気への恐怖は非常に大きなものだったでしょうし、それによって
様々に行動が制約され、色々な事態が思わぬ方向に至ったことも多かったと考えられます。
勿論、安易に歴史上の人物の症状を「診断」することはすべきでは有りませんが、歴史を見る上で、少なくとも記録に
存在している体調についての記載については軽視しないほうがいいな、と考えさせられる内容でも有りました。
今週は同表でもう一つ!大事な油道服を着ていても、それではねえです
『利家夜話(亜相公御夜話)』は前田利家に近習として仕えた村井長明が著したものとされ、利家の近くで仕えた人物による
貴重な記録でもあります。その利家夜話を通して見るとすぐに解るのですが、利家について非常に高く表彰されているのは、
その書籍の性質から当然としても、徳川家、家康について、強いライバル意識が間々見られます。あの有名な
名護屋での徳川との水争いについての描写にも、「徳川何するものぞ」という意識が強く表れています。
これが、前田利家が実際にそうであったのか、それともこの利家夜話が書かれた当時(江戸初期)の、前田家の空気を
現しているのか、そこは何とも言えませんが、わざわざこういった、家康と利家を比較する記事が記された事の意味を
考えつつ、読み込んでみるのも面白いと感じました。
今週もたくさんの拍手を、各逸話に頂きました。いつもありがとうございます!
また気に入った逸話を見つけた時は、そこの拍手ボタンを押してやってくださいね!
(/・ω・)/
桶狭間、長篠(と本能寺)裏話 19
曲直瀬道三の治療記録 9
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厳島の祟 6
猿澤の池変え 5
必ず義龍の首を取って道三に手向ける 5
ノビスバンとの交易 4
殊ノ外ホメ奉ル 4
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織田信長の近習であった湯浅直宗についてのお話ですね。湯浅のような信長、あるいは信忠の近習層は本能寺の変で
多くが討ち死にしており、信長が特に選びぬいた、忠勇な人物が多かったとされるこの層の大半が一度に消滅したことも、
織田政権にとっての痛打であったと思います。仮に本能寺の変がなかった場合、織田政権の中枢は、彼らによって
占められていたと考えられるからです。
ここに表れている湯浅の活躍を見ても、彼らがやがて政権の中でどのような働きを成したのか、そんな事を想像
させてくれる内容でした。
今週の2位はこちら!曲直瀬道三の治療記録です!
名医として有名な曲直瀬道三の診療記録ですが、やはり酒にまつわる体調の悪化が目に付きますね。このあたりはやはり、
様々なプレッシャーから酒に逃げる、という面もあったのでしょう。
また慶長3年の時点で淀殿が既に気鬱を訴えていることも目を引きます。彼女は関ヶ原後もこう言った症状が散見され、
それを以って家康、徳川政権からのプレッシャーに苛まれていた、などとも言われるのですが、これを見ると、淀殿の
一種の持病であった可能性もありますね。
これだけでなく、当時の記録を見ると、大名もやはり、しばしば体調を崩し、、病みついた事が見られ、医学の発展していない
当時としては多くが自然治癒に頼ったことを考えると、病気への恐怖は非常に大きなものだったでしょうし、それによって
様々に行動が制約され、色々な事態が思わぬ方向に至ったことも多かったと考えられます。
勿論、安易に歴史上の人物の症状を「診断」することはすべきでは有りませんが、歴史を見る上で、少なくとも記録に
存在している体調についての記載については軽視しないほうがいいな、と考えさせられる内容でも有りました。
今週は同表でもう一つ!大事な油道服を着ていても、それではねえです
『利家夜話(亜相公御夜話)』は前田利家に近習として仕えた村井長明が著したものとされ、利家の近くで仕えた人物による
貴重な記録でもあります。その利家夜話を通して見るとすぐに解るのですが、利家について非常に高く表彰されているのは、
その書籍の性質から当然としても、徳川家、家康について、強いライバル意識が間々見られます。あの有名な
名護屋での徳川との水争いについての描写にも、「徳川何するものぞ」という意識が強く表れています。
これが、前田利家が実際にそうであったのか、それともこの利家夜話が書かれた当時(江戸初期)の、前田家の空気を
現しているのか、そこは何とも言えませんが、わざわざこういった、家康と利家を比較する記事が記された事の意味を
考えつつ、読み込んでみるのも面白いと感じました。
今週もたくさんの拍手を、各逸話に頂きました。いつもありがとうございます!
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