297 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/08/26(水) 11:39:41.61 ID:c/kOnlNb
慶長十五年の六月頃、丹波国亀山の普請中に、薩州島津龍伯(義久)の弟が丹波国に従い、
そこで煩い付き、伏見に着いたところで病死した。
これは去る庚子の年、美濃国関ヶ原合戦の時、兄の兵庫(義弘)退散の時、負傷し馬も離れ、
歩いての進退も叶わず、死人の上に倒れ伏せた所、奇特の夢想があり、かの夢に云わく
『これより東へ下り、木食(穀絶ちの修行僧)と成り年月を送れ』とのお告げであった。
そうして稀有にして命を全うして関東へ下り、夢想の如く木食となって十ヶ年を経て、去年の春
薩摩に帰国したのであるが、見知った者も無く、これまでの経緯を人に語っても、彼は関ヶ原の
合戦で討ち死にしたと云われており、なかなか思いもよらぬ事であったので、これを本気にする者も
なかった。しかしよくよくその様体を見るに、似ている所もあったので、還俗させて見た所、
紛れもなくその人物であった。
この事は龍伯、并びに又八(島津忠恒)に申し届き、対面して往時を語り落涙した。
さて所領を遣わしそこへ居住した所、今度の不慮の煩いで死去したのだという。
『当代記』
この「弟」が誰に当たるのかはよくわかりませんでした
慶長十五年の六月頃、丹波国亀山の普請中に、薩州島津龍伯(義久)の弟が丹波国に従い、
そこで煩い付き、伏見に着いたところで病死した。
これは去る庚子の年、美濃国関ヶ原合戦の時、兄の兵庫(義弘)退散の時、負傷し馬も離れ、
歩いての進退も叶わず、死人の上に倒れ伏せた所、奇特の夢想があり、かの夢に云わく
『これより東へ下り、木食(穀絶ちの修行僧)と成り年月を送れ』とのお告げであった。
そうして稀有にして命を全うして関東へ下り、夢想の如く木食となって十ヶ年を経て、去年の春
薩摩に帰国したのであるが、見知った者も無く、これまでの経緯を人に語っても、彼は関ヶ原の
合戦で討ち死にしたと云われており、なかなか思いもよらぬ事であったので、これを本気にする者も
なかった。しかしよくよくその様体を見るに、似ている所もあったので、還俗させて見た所、
紛れもなくその人物であった。
この事は龍伯、并びに又八(島津忠恒)に申し届き、対面して往時を語り落涙した。
さて所領を遣わしそこへ居住した所、今度の不慮の煩いで死去したのだという。
『当代記』
この「弟」が誰に当たるのかはよくわかりませんでした
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コメント
人間七七四年 | URL | -
播磨島津家の誰かと混同してたんじゃないかな?
丁度、播磨家にも同時期に義弘が存在していたし
( 2020年08月26日 20:14 )
人間七七四年 | URL | -
義久の従弟の島津以久が慶長十五年に亡くなってるけど、関ケ原合戦には出陣してないしなぁ
以久は豊久の佐土原領を継承しているから、その関係で訳の分からない話が誕生したのかも
( 2020年08月27日 02:38 )
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