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秀頼と家康の二条城会見について

2020年08月31日 17:17

506 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/08/31(月) 13:27:20.93 ID:ybV1B4VU
慶長十六年三月二十七日、豊臣秀頼公が大阪を発って淀に到着され。これの迎えとして
右兵衛(家康公息、年十二歳(義直))、常陸介(家康公息、年十歳(頼宣))、并びに
池田三左衛門(輝政)、加東肥後守(清正)が淀に参向した。
秀頼公が大阪を発つ時、虚空が光ったと云々。

二十八日辰の刻(午前八時頃)、秀頼公は入洛され、すぐに家康公の御所である二条に御越しになった。
家康公は庭上まで出られ、秀頼公も慇懃に礼謝された。

家康公が座中に入られた後、秀頼公は庭上より座中に上がられ、先ず秀頼公が御成の間に入られ、
その後、家康公の出御があった。
互いの御礼有るべきとの旨を家康公は仰ったが、秀頼公は堅く斟酌有り、家康公が御成の間に
出奉り、秀頼公は礼を遂げられた。

膳部はかれこれ美麗に出来ていたのだが、還って隔心があるだろうかと言うことで、ただお吸い物
までであった。
大政所(これは秀吉公北の方也)も出られ相伴された。

その後、秀頼公はすぐに発たれ、右兵衛督、常陸介が途中まで送った。
秀頼公は直に豊国社に参詣され、大仏を見られ、伏見より船にて、その日の酉刻(午後六時頃)、大阪に
帰着された。大阪の上下万民については申すに及ばず、京畿の庶民の悦びはただこの事であった。
この時も大阪に光が出たと云々。

当代記

秀頼と家康の二条城会見について



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    会見の面子は別に豊臣方の大名を集めた訳じゃなくて
    単純に家康の息子の舅とかの親類大名なんだよね

  2. 人間七七四年 | URL | -

    まぁ今から豊臣と徳川で戦おうって訳じゃなく義理の祖父孫の会見だからな

  3. 人間七七四年 | URL | -

    ※1
    どうしても大阪冬夏の陣が頭にあるから対立軸を元に見がちですが
    親類縁者で気軽な雰囲気を出そうとしているんですね
    見方が変わりました

  4. 人間七七四年 | URL | -

    この時に義直は秀頼から色々と貢物を貰っている

  5. 人間七七四年 | URL | -

    これみる限り、徳川一門として生き残る目も充分あったのね

  6. 人間七七四年 | URL | -

    せっかく美味しいご飯作ったのに・・・・
    食べ物を粗末にしたから豊臣家は滅亡したんだな

    秀頼は信雄さんや有楽さんくらい恥も外聞もなければ

  7. 人間七七四年 | URL | -

    秀吉が縁組に拘ったのも、徳川一門として生き残る芽を作っておく意図もあったでしょう。
    一大名に落とされたとしても、その状態で空気読んで大人しくしていれば殺さないはずだという読みね。
    実際に、家康も夏の陣で戦端を開くまでは殺そうとまでは思ってなかった節が見えるし。

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