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『駿府記』より、方広寺鐘銘事件について

2020年09月23日 18:41

346 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/09/22(火) 23:18:37.90 ID:Nl3xNW4I
慶長十九年
七月二十一日、大御所が源氏物語の講釈を受けられた。飛鳥井(雅庸)が講読し、御数寄屋次之間にて
行われた。その後近習四、五輩、および伝長老、板倉内膳(重昌)の両人が召された。仰せに曰く
「(方広寺)大仏の鐘銘に関東不吉の語があり、また上棟の日も吉日ではない。」
とお腹立ちだったという。

二十六日、今日、片桐市正(且元)より一通の書状、并びに板倉伊賀守(勝重)の書状が駿府に
到来した。その内容は、

『方広寺大仏の供養を来月三日、開眼を十八日に成す予定であるが、その十八日には豊国臨時祭が有るため、
三日の早朝に開眼を行い、その後供養を行いたいのだと、秀頼が仰せに成っている』という。

大御所は「今度の大仏供養については、棟札といい鐘の銘といい、遺憾で不快である。
また往時源頼朝の時代も、開眼と堂供養の間は十年を隔てている。先例を考え、諸事後難無きように。」
と仰せ遣わし、本多上野介(正純)、伝長老がこれを奉った。

八月二日、方広寺大仏殿の鐘銘の正確な写しが駿府に到来した。中井大和守(正清)がこれを捧げた。
件の鐘銘は東福寺の韓長老がこれを書いたが、『国家安康』の語が不快であり、その他にも文章の中に
所々不快の語があった。一通を写し、これを江戸に遣わした。林道春がこれを奉った。

四日、大仏殿の棟札の写しが駿府に到来した。中井大和守がこれを奉った。照高院道勝法親王がこれを
書かれたのだが、大御所の御意に叶わず、ご不快にて、仰せに曰く
「鐘銘については、奈良大仏の鐘銘に准ずるべき旨を云っていたのだが、相違え、また秀頼より、
彼が出京するために、供奉の者たちを諸大夫に任じたいと云ってきたため、諸大夫に任官させたのだが、
その秀頼の出京は中止に成ったという。頗る不審である。」

五日、今日、大仏の鐘銘と棟札の内容を、大阪より片桐市正が大御所に捧げ、御前において、金地院崇伝が
これを読み、中井大和守が差し上げた。その内容はそれまでに報告されていた書付の内容と相違無く、
件の鐘銘の善悪について、五山衆に評価させ、それを書き記して提出するようにと仰せに成った。
この御使いとして、板倉内膳正が京都に赴くようにと仰せに成られた。

駿府記

方広寺鐘銘事件について。実は棟札の問題とセットだったんですね。



347 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/09/22(火) 23:52:42.97 ID:XZPd+AJg
丸島氏が言っていたと思うけど
豊臣家が何個もやらかしててそのうちの1個が鐘銘ってだけなのよね、しかも鐘銘に関しては確認とって西国じゃそういうのもあるんだろうぐらいで落ち着いてるようで
出兵の決定打は取次の片桐の追放とのことみたいね

348 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/09/23(水) 00:03:18.16 ID:aMwBT9L+
追放じゃなくて退転じゃないの
関東にとっては同じことだろうけど

349 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/09/23(水) 00:54:08.28 ID:FN2WPn7a
>>348
片桐且元・織田信雄が暗殺されかねない危険な状況だったのだし、
同時期に多数の重臣が退去しているのだから、より酷いわな。

徳川が腹黒いとか言われる方広寺鐘銘事件とか福島・加藤など豊臣恩顧の大名の改易とかは、
調べれば調べるほど、こりゃ当然そうなるわな…という感じ。

もちろん、大久保長安事件とか宇都宮城釣天井事件とか、
徳川内部での騒動だとアレだけど。
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コメント

  1. 人間774年 | URL | -

    そもそも誰がいつごろあれを「言いがかり」と言い出したんだろう?

  2. 人間七七四年 | URL | -

    おそらく最初は徳富

  3. 人間七七四年 | URL | -

    鐘のことだけ見ると言いがかりにも見えるがそれ以外に豊臣の時勢もわきまえない姿勢を見てると残念でもないし当然の結果に見える

  4. 人間七七四年 | URL | -

    鐘銘から開眼供養の日時や人選にまで全てにおいて言いがかりなんだけどね。
    忌み名の使用なんて当時問題になるものではなかった、実際日本の歴史上文句をつけたのは家康ただ一人、
    五山文学を知っていれば、ただの家康をヨイショするための言葉遊びにすぎないとわかる
    つか使われたくないならまず使われないような漢字を選ぶのがマナーというもの。
    そもそも元将軍ごときの忌み名に配慮したことはない、天皇の忌み名(当時は政仁)にすら配慮がされることはないというのに鐘銘には天皇の忌み名も入っていたが天皇は当然何も言っていない

    開眼供養の日時も人選も元皇族の座主まで出席が決まっているのに、家康がいきなり変えろと言い出した、しかも方広寺は天台宗系なのに、真言宗系の人にしろとか無茶言い出す、天皇まで当初の予定通りしろつまり秀頼の主張を全面的に認める方針なのに納得しない
    もう胃がんで長くなかったから生きているうちに滅ぼそうとやっきになっていたんだろうね
    もう数年前から大船禁止令や、大阪城につながる街道に築城とかして援軍これないように準備してたし

  5. 人間七七四年 | URL | -

    また出たよ家康アンチ
    妄想垂れ流すばかりじゃなくていい加減、根拠の一つくらい出したらどう?

  6. 人間七七四年 | URL | -

    言い掛かりで戦争なんて秀吉もやってるので、仮にそうだったとしてもざまぁとしか思わない

  7. 人間七七四年 | URL | -

    まず開戦理由が鐘の云々やないし
    徳川との取次の片桐且元を追放し、襲撃したことなんだよな。
    そもそも大仏の再建は徳川も共同でやってるんやから、無断で諱使ってメンツ潰すようなことしちゃいかんでしょ


  8. 人間七七四年 | URL | -

    仮に豊臣を滅ぼすための陰謀だったとしても、付け込む隙をこれでもかと提供してる以上酌量の余地なし
    狙われてるという意識があるんだったらより一層慎重な振る舞いを心掛けるべきだった

  9. 人間七七四年 | URL | -

    結局淀君がアホすぎたことが原因

  10. 人間七七四年 | URL | -

    アホっていうかとくにずばぬけたところのない普通のおばさんなのよね
    自分の能力をはるかに超える仕事をさせられて可哀想といえば可哀想

  11. 人間七七四年 | URL | -

    大坂は信雄とか見て何も学ばなかったんか
    それとも信雄みたいにゴネてもいつかはどうにかなるだろと楽観視してたのか
    または相当早い内から玉砕覚悟の破滅思考になっていたのか

  12. 人間七七四年 | URL | -

    淀君は豊臣家の中ではまだ融和的で現実見えてた方かな、片桐退去の主な原因な大野治長もその後は融和路線だし
    秀頼とその周りが異様に好戦的
    信雄も有楽斎も秀頼周りの過激派なだめようとしてこれ言う事聞かねーわつってる状態

  13. 人間七七四年 | URL | -

    秀頼の行動ってまさしく小牧長久手時の信雄の劣化なのよね
    信雄と同じ理由で信雄より悪い状況で開戦して、信雄より落とし所を見つけられなくて、信雄より自分が何をすべきで何をしてはいけなかったのか理解してない

    そして当の信雄すら秀頼見捨てるっていう

  14. 人間七七四年 | URL | -

    ※11
    当の秀頼がやたら好戦的というか「命がけの戦い」に酔ってた節がある
    若さゆえの過ちと言えるかもしれない

  15. 人間七七四年 | URL | -

    つーても淀殿自身も和平の絶対条件だろう大阪退去や人質問題は拒絶的な態度なんだから、どう転んでも衝突は免れんわな。

  16. 人間七七四年 | URL | -

    大阪の陣が段々と自分のことを天下人と勘違いしているボンクラ大名を改易しただけのように思えてきた

  17. 人間七七四年 | URL | -

    自分を天下人だと思いこんでいるボンクラ大名「テンション上がるなぁ~」

  18. 人間七七四年 | URL | -

    家康・秀忠が秀頼を倒すまでもなく秀吉が五大老に差配を委ねてる時点で少なくとも豊臣の当主=天下人ではなくなってるよね…名目上豊臣家の天下ではあるかも知れんが
    それも関ヶ原で崩れてるし

  19. 人間七七四年 | URL | -

    関ケ原以前の五大老制はぎり豊臣の天下では。
    豊臣恩顧(+織田):前田、宇喜多
    羽柴差配後服属 :上杉、、毛利、
    その他:徳川
    吏僚は(変換でないので適当につなげたけどあってるっけ)豊臣が握ってたのが関ケ原前

    関ケ原までにこのバランス崩れるけど、秀吉逝去のタイミングではバランスとれてんじゃないの
    ♯ここに秀次入れたら盤石だけどねぇ

  20. 人間七七四年 | URL | -

    家康も秀家も一門だから豊臣の天下だとしてもどう考えても秀頼は天下人じゃあない

  21. 人間七七四年 | URL | -

    実際に慶長4年の家康が朝廷参内した際の三献の儀で朝廷が秀吉や室町将軍と同等な待遇をしたことを根拠に家康を天下人として見なす向きもある

    いずれにせよ秀吉死後の豊臣はあくまで元天下人の家という感じ

  22. 人間七七四年 | URL | -

    豊臣長者は秀頼なんで
    徳川家の領土は秀吉が与えたあと秀頼が安堵している

  23. 人間七七四年 | URL | -

    ※7
    その程度のことは家康もやっている、
    石川に対して同様のことをしているが、秀吉はそれを口実に攻め込むことはなかった
    まーくんにしても取次役の鬼庭や成実や浅野をはじめ無茶しまくってるが、それで改易されることはなかった

    無断で忌み名もなにも、文章を書くときに忌み名を使うのに使用許可を求める風習など日本にはない
    名前を付けるときに将軍の忌み名避けるというのも江戸時代になってから生まれたもの
    秀頼のように難癖をつけられないためにね
    それ以前は遣唐使などを送っていた時代くらいに遡らなければ事例がない
    何百年も前の事例しかも天皇に適用されたものを元将軍に適用して無礼とか言い出すのは難癖でしかない
    それこそ家康は自分を何様だと思っているのか

  24. 人間七七四年 | URL | -

    ※23
    チラシの裏にでも書いてろ

  25. 人間七七四年 | URL | -

    秀次だと現実的だから問題は起こらなかっただろうなぁ
    そもそも関ヶ原なかったと思うけど

  26. 人間七七四年 | URL | -

    ※23
    それだと北条綱成の長子の諱が「康成」のあと「氏繁」になった理由がわからなくなっちゃうんだけど?
    避諱のためだと解釈されてると思うんだけど

  27. 人間七七四年 | URL | -

    ※23には「諱がかぶってる主君と家臣の例」を具体的にいくつか挙げて欲しい。本当に「江戸時代になってから生まれたもの」だったら何組もいるでしょ

  28. 人間七七四年 | URL | -

    忌み名って字面見ればわかるレベルだし
    そもそも上でも言われてるように出兵理由それじゃないし

    難癖ってのはまさしくコメント23番のようなやつの事を言うんだよ

  29. 人間七七四年 | URL | -

    ここにもヒデ吉ちゃん現れるんか(驚愕)
    方広寺は割と呪われてる寺だよなぁ。秀次切腹の板が天井にあるとか…
    とはいえ、徳川方は方広寺鐘銘を「不快」だとしてもこれだけで戦争に持ち込めるとは全く思ってないからね…
    でっち上げでも何でもなく、豊臣が火遊びをして火事になっただけなんだよなぁ…

  30. 人間七七四年 | URL | D1JUTNdY

    スレ違いになるけど、釣り天井も事実じゃない指摘がある。

  31. 人間七七四年 | URL | -

    何も具体例出てこないし、「ない」だの「なかった」だの※23が知らないだけじゃないの
    そもそも勝手に名乗っていいってなったら偏諱なんて恩賞成立しないし

  32. 人間七七四年 | URL | -

    ※26
    避諱のためなんて初めて聞いたが、どこでそんな珍説がでていたのか
    ただたんに主君である氏康が亡くなったので康の字をもらう意味がなくなった、
    氏政が氏くれるってんでそうなっただけでしょ

  33. 人間七七四年 | URL | -

    ※27
    将軍家の通字は義
    義を正式にもらっている人は多いが、もらっていないけど親がもらっているからとそのまま使っている大名はいる、東国の大名にはけっこう多い、佐竹をはじめ通字が義のケースもある
    佐竹だと死後に義昭と名前かぶってしまった人から偏諱された人和田も、義昭と将軍が改名したからといって改名したとは聞いたことないな

    徳川家だと家だが、吉川広家とか幕府できてもそのままでしょ
    主君が秀吉に変わった堀も秀をそのまま使ってる、ま、秀吉いいだしたら秀はどこからとか弟の長も謎だが
    越前のバーサーカーの富田も信長に仕えたからといって配慮して改名はしていない
    織田家においては今浜を長浜と変えたように、むしろ積極的に使っているしな

    大阪の陣の時の天皇の忌み名は政仁ですが、政宗をはじめ政使っている人多いけど、別に誰も改名してません
    俺が知ってるレベルで有名なのはこのあたりかな

  34. 人間七七四年 | URL | -

    ※31
    なら家康のような事例で難癖つけて攻めた事例をだせばいいんじゃないかな
    他家との取次を処罰した事例で攻めたとか
    諱を勝手に使ったから攻めた事例をね

    もし存在するなら持論を翻すよ、するならね。小山田とか北条と両属してたのに何もしてないとか逆の事例はけっこう知ってるけど反するものを知らない、知ってるなら教えてほしいね。

    近年の研究では、とか最近ネットで主張する人たちいるけど、新史料とかに基づいたものではなくて新解釈にすぎない
    調べてみればわかるけど、水戸の校門様が編纂したものに収録されているものであり、そりゃ幕府の立場ならそう主張するだろうね、ということ
    当時では信長や秀吉をそのまま書いている史料が少なくないし、むしろ積極的に使う事こそ敬意を示している、今でも有名人の名前や一字つけているからといって有名人の方が怒るのはまずないわな

    取次の重要性が研究で明らかになった、それはその通りだけど、折衝をする取次役が主君や家臣団に疑われて処罰されるケースも少ないないことも明らかになっている、それを理由に戦端を開いたのは家康くらいのものでしょ

  35. 人間七七四年 | URL | -

    ※34
    信雄が三家老を斬ったのは取次処罰に相当するんじゃないか?

  36. 人間七七四年 | URL | -

    ※33
    賦秀→氏郷と変えた工場長は?

  37. 人間七七四年 | URL | -

    ※32
    だったらなんで成が繁になるんだよ

  38. 人間七七四年 | URL | -

    ※33
    そいつら、時期の一致しない佐竹義昭と足利義昭以外は全部「諱の一部がかぶってる」だけで「諱がかぶってる」わけじゃないじゃん。まあ、そんなことだろうとは思ってた

  39. 人間七七四年 | URL | -

    ※35
    三家老が取次と主張している人がいるのは知ってるけど、
    その三家老が取次であった書状などを見たことがないんだよ
    もっと言うとそもそも三家老処罰で秀吉が動いたわけじゃなくて、信雄が先に家康に援軍を呼んで、それから三家老を処罰するという流れ、戦争を仕掛けたのは信雄からなんで
    ※36
    俗説だと秀が下だとまずいからと変えたという説があるけど、秀政以外でもマイナーの方の秀頼(元は毛利長秀)
    秀を上にするとかもあるけど、秀の字そのものを変えたりはしていない
    使い続けているんだよね。使用を控えるというものではない

  40. 人間七七四年 | URL | -

    ※37
    すまないが、成の字をだれに配慮して繁に変えたと主張してるの?
    避諱だからとしているけど、自分が知る限り、当時の北条家の当主も将軍も天皇も成の字なんか使ってない。
    何代も前の天皇にはいるけど、関係ないでしょ
    ていうかそれなら綱成が避諱しなかったことになるだけなんだけど
    親の綱成からもらったけど、家督を継承したし氏政から氏もらえたので氏繁に変えただけだと思うが
    ※38
    え?名前が完全に一致していない場合以外は関係ないと、誰もそんなこと言ってないんだけど
    俺が上で言っているのは、※23で書いてあるように文章書くときに元将軍の忌み名を配慮して避けるなんてルールには日本には存在していなかったということ
    一字間をもうける欠字とかなら天皇などへの配慮としてあるけど、使用を避けたり別の漢字を使う事例は知らん

  41. ※35 | URL | -

    ※39
    そのあたりもう少し掘り下げたいな
    小牧長久手のいい本があれば紹介して欲しい

  42. 人間七七四年 | URL | -

    >名前を付けるときに将軍の忌み名避けるというのも江戸時代になってから生まれたもの

    >俺が上で言っているのは、※23で書いてあるように文章書くときに元将軍の忌み名を配慮して避けるなんてルールには日本には存在していなかったということ

    都合の悪いことは言ってないことにするスタイルなわけね。もうええわ

  43. 人間七七四年 | URL | -

    「北条綱成の子北条康成は氏の一字を授けられ以後北条氏繁を名乗った」て読んだら普通は「なんで?」て言うところだと思うが…まあそういう人なんだろうな

  44. 人間七七四年 | URL | -

    ※42
    どちらもその通りだけど?将軍の忌み名を避けることもしないし、文章書くときに避けることもしない
    将軍が変わって忌み名がかぶってもだからと言って改名したりはしない、そんな風習はない
    俺が言ってもいないことを言っていないことにするのはやめてくれるかな
    というか鐘銘の文字に元将軍の忌み名を避けるかどうかという話なんだが
    ※43
    なんでというのがわからない
    つまり避諱したというのは間違いということでいい?なんでケチつけてるの?
    というか君はいったい康成が誰の名前避諱したと主張してるの?

  45. 人間七七四年 | URL | -

    ※42
    そもそも碌な一次資料も事例も提示せず、上のコメントで鐘明事件じゃなくて片桐襲撃が戦争勃発の発端だって言われているのも無視して持論(嘲笑)書き散らしてる時点で荒らしも同然だから相手するだけ無駄
    てかそろそろ管理人に通報した方が良いかな?

  46. 人間七七四年 | URL | -

    自分はそんなに知識もないので議論を眺めてだけなのだけど一つ気になったので。

    ※32で
    「ただたんに主君である氏康が亡くなったので康の字をもらう意味がなくなった、
    氏政が氏くれるってんでそうなっただけでしょ」

    とあるけど、普通氏政が与えるなら「氏」でなく「政」のほうじゃないのかな?

  47. 人間七七四年 | URL | -

    一次史料じゃなくてもどんな学者のなんて本から引いてるか分かればええんやけど

  48. | |

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  49. 人間七七四年 | URL | -

    「征夷大将軍でありさえすりゃ誰でも同じように扱われるはず」ていう前提が机上の空論的なんだよな。
    避諱は「誰に対して遠慮するか」て話なんだから、「室町幕府の将軍は江戸幕府の将軍ほど遠慮してもらえてなかった」てことに過ぎないのを「江戸時代に生まれた」ていうのは曲解だと思うし、権力の強い人が弱い人より余計に配慮されるのは当然のことなので「家康が難癖つけたから」なんて謎経緯が入り込む余地はない。仮に江戸幕府の方が政権として弱体だってことならそういう説明の必要性が出てくるだろうが、そんな風に思ってる人はまずいないのでは?
    「100%じゃないから0%だ」みたいな論旨もトンデモ論者的。(偏諱によらず)名前に同じ字を使ってる主従について改名しなかった例をやたら重視してるが、仮に何を名乗っても自由だったら移籍や代替わりによらず初名から主人と同じ名前て例がいくつも出てくるはず。そういう人がいない(か、非常に寡ない)てことは、やっぱり「自分の名前に主と同じ字を(勝手に)使うのは憚りがあった」て考えるのが自然。改名だってコスト0じゃないだろうからするしないは憚り具合とのバランスで人によりマチマチ、と解釈すれば済む話で「そんなのなかった」とまで断言できる根拠にはならない。
    北条氏繁については、「なんで『氏成』じゃないのか」を聞いていたのだが、その疑問点に自力で到達すらできなかったようだ…

  50. 人間七七四年 | URL | -

    ※45
    君の主張は23でとっくの昔に否定されている
    無視などしていないのだけど
    片桐襲撃は豊臣家中の話であり、徳川が文句言ってくるのがおかしいということですよ
    家康は庄内の乱のときは、主家に従うべきであるとして、取次役の伊集院を暗殺して領土を奪い取ろうとした島津悪久の行動を支持している。
    全く同じ構図ですからね。
    恣意的に運用しているのならそれは難癖というものではないですかね?

  51. 人間七七四年 | URL | -

    ※46
    氏と政なら通字である氏の方が上

    秀吉の秀が与えられたものは、秀忠秀康秀家秀秋秀信秀雄秀元秀就、堀家など例外がないわけではないが大老クラスや織田家に与えられている
    吉の場合はやや地位が下がり、吉継、吉統、吉晴、吉政、奉行や子飼い武将などに与えられるケースが多い
    これと同じように政ではなく氏になったのは地位が上がったからと思われる、もしくは代替わりしたことで、
    氏政から氏繁との関係性が変わった

    氏繁の場合は母親が氏康の妹(姉?)で、氏政からすると従妹になるのかな?
    正式に一門入りしたと認められたということだろうよ
    甥っ子と従弟なら後者のほうが対等にやや近いんじゃないの

    でさ、誰に遠慮して避諱したと主張してるの?

  52. 人間七七四年 | URL | -

    ※50
    だからそれを証明する1次史料は?
    ここはお前の妄想を押し付ける場所じゃねえんだよ。


    そろそろ管理人さん、動いてくれませんかねえ?

  53. 人間七七四年 | URL | -

    ※49
    15代続いた室町幕府ですらそんなルールないのに、
    できたばかりの江戸幕府にはルールがすでにあったといわれてもね。
    いやあったとしてもそれは江戸時代になって初めて生まれた新ルールということを肯定してるよね?
    秀頼からしたらそんなルールは知らないのが当然だろう。
    事後法(当時は法治主義ではないから別にいいんだけど)みたいなもんだから難癖という俺の意見は間違っているかね?
    また同じ字を使っている主従が存在するなら主に配慮して避諱をする風習はなかったということですよね?
    少なくとも戦国時代まではね。

    というか天皇の諱にすら配慮するルールは日本にはなかった。
    天皇も自分の諱政仁が仁政として逆さにされて無断使用されていたが、何も言っていないし、むしろ両者の争論では豊臣側を弁護し、後に文を書いた文英清韓から漢詩の進講を受けている、問題にすらしていなかったということ
    幕府が家康の諱の使用で文句を言ったのと比べて、天皇の対応違いの対比はわかりやすい

  54. 人間七七四年 | URL | -

    ※52
    証明する一次史料と言われてもね。
    前例が存在しないと主張しているのが俺なんですよ。一次史料どころか二次史料や軍記物ですら存在するわけがない
    だって過去に別の事例が存在しないから、家康の行動は難癖だとしているのだから

    つまり例外があるのなら示してみたら?一次史料でね、いや軍記物でもいいからさ
    軍記物でも存在するなら、それはのちににそう解釈する下地や風潮が存在していたことになるから
    傍証くらいにはなるかなあ

  55. | |

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  56. まとめ管理人 | URL | -

    管理人です。さすがに記事の内容からかけ離れすぎた議論になってしまっており、また
    ここは誰かの「正しさ」を証明する場所でもありません。
    無意味なヒートアップは誰にとっても不幸だと思います。どうかご理解いただき、
    お控えいただきますように。

  57. 人間七七四年 | URL | -

    まあ、同時代人の書いた文ですら趣旨を読み取れないような人間にン百年前の人が何考えてたかなんてちゃんと分かる訳ないですね

  58. 人間七七四年 | URL | -

    残念、管理人さんがいうなら矛を収めましょうか
    何を根拠に避諱をしていたと主張しているのか興味あったんですけどね。

  59. 人間七七四年 | URL | -

    ※58
    お前そういうとこやぞ

  60. 人間七七四年 | URL | -

    ※58
    しつこい

  61. 人間七七四年 | URL | -

    ※58
    本当に気があるなら「真説戦国北条五代(歴史群像シリーズ 14)」探して読め
    どうせあれこれゴネてやらないだろうけど

  62. 人間七七四年 | URL | -

    その本なら持ってるな、さすがに今から探すのは夜眠れなくなりそうなので休みの日にまわすが、
    最悪図書館にでもいけばあるだろう
    巻末の武将一覧解説のところでいいんだよな?

  63. 人間七七四年 | URL | -

    まだ続けてるのか、やめろと言われた事すら聞けない読解力で研究ろくに読める訳がなかろうに

  64. 名無しさん | URL | -

    発掘してきたわ

    これは氏康死後、北条家の通字「氏」の授与を願い、康成の康を氏に改めたこと、しかし氏成は現当主氏政と音通するため成を繁の字に変えたのではないかと想像されるのである
    伊藤一美

    つまり当時は同じ音の漢字で当て字することがよくあったので、当主と同じ名前になるのを避けるためにしたんじゃないかと伊藤が想像したって話だね

    想像云々はおいといても避諱ではないね。通説を覆すものがでるのを期待していなかったわけではないが、出るわけないわな、信じた俺がアホだったということで

  65. | |

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  66. 人間七七四年 | URL | -

    当時の文書読んで実名書いてるのと通称や官位で呼んでるのの数も追った事ないのか
    というか他人の指摘をバカにしくさってて真面目に不快なもんを見てしまったわ

  67. 人間七七四年 | URL | -

    終わった話を蒸し返すのも何だが、江戸時代より前は忌諱はなかったなんてやっぱりウソだよな
    偏諱が恩賞として成立するためには諱は許可なく使用できないというコンセンサスがあったはず
    そして室町時代は偏諱の例には事欠かない

    江戸時代に急登場したように見えるのは単に資料の質と量が増えただけなんじゃないのか?

  68. 名無しさん | URL | -

    ※66
    宣教師の記したものは官位と諱で半々くらいだよ
    宣教師は聞いた音をそのまま記すからね。田舎のほうはともかく当時の日本においては諱で呼ぶことにさほど問題とはならず、それどころかむしろ地位が高い人ほど諱でそのまま呼ばれていることが多い
    信長とかその代表例ですね。
    秀吉の遺言状をみるとわかりやすいが大老は諱でかかれ、石田らは治部と書かれている
    当時主君であった秀頼が諱や通称で書かれていることはほとんどない、少なくとも俺は数例しか知らん。
    ※67
    あったはずとか根拠もなく主張されてもね。
    偏諱と避諱は全くの別物だ、主と諱がかぶっても戦国時代までは変えることはしなかった
    これは上のほうで指摘してるね。一部で有名な二階堂盛義とか将軍家の通字を使って、しかも下にしてたりするけど、二階堂の格で通字の偏諱を賜ったとは考えにくいし、その場合はさすがに上にするだろうからね。
    平岩親吉は家康が下った後も別に吉の字を変えていないし、
    家康の子供の信吉、忠吉は偏諱を賜った記録はないが、吉をいれている、偏諱なら上にするはずだが下にしているのをみても偏諱とは考えにくい
    といちゃもんつけてる徳川家だけをみてもけっこういる。
    で、鐘銘問題で重要なのはそれではなくて、諱を手紙や文からも避けるかどうかということで、これはまずありえない、日本でそんなものがルールかされたケースはない、天皇家の通字は仁だが、中国みたいに仁の使用を禁止し、別の漢字を使ったなんて聞いたことないからな。日本で邦を國と変えたような事例を聞いたことあるかね

  69. 人間七七四年 | URL | -

    ※68
    そういう異論という異論を論駁せずにはいられない態度が顰蹙を買っているとまだわからないのか

  70. まとめ管理人 | URL | -

    ※68
    そのように、過度に他者に対して挑発的な書き込みは、どうかお控え下さい

  71. 人間七七四年 | URL | -

    純粋に疑問だけど当時避諱がなかったって主張してる学者っているの?
    方広寺鐘銘事件でも、あっこれいちゃもんじゃねーわって言ってる学者をよく見る
    通称、なんてものを官位を頂く前に名乗るほど諱を呼ばれるのを避けるようにしてるし
    丸島氏も貴人を貴ぶ意味合いで諱をわざと書くのは「西国」にはあったと書いてるけど五山や東国の反応は違うと述べてるし

    あとついでにもう一つ主張してた小牧長久手や大坂の陣が取次への処罰が開戦理由ではないってのも、今学者でそう主張してる人っているの?

    角が立ちそうだから今問題視されてる人以外に答えていただけると大変ありがたい

  72. 名無しさん | URL | -

    ※69※70
    俺に言う前に66、67に言ってくれ
    人をウソつき呼ばわりしてるんだぞ
    挑発的な書き込みではないというのかね?
    それに対して俺は過去の具体的をあげて、反論をしているのになかったはずという思い込みで嘘つき呼ばわり
    どっちが問題な行動か?
    ※71
    当時の西国ってのは畿内までを示すのでほぼ日本の中枢を示す、畿内で天下というようにね
    書いた張本人文英清韓は五山最高位と言われる南禅寺の長老
    五山の反応というのは後に江戸幕府が収録編纂しているものに記載されているものにすぎない
    またその反応にしても家康の諱を使ったのは言語道断としつつも、過去に貴人の諱を避けたかどうかは記憶にないとしている。

  73. 人間七七四年 | URL | -

    ※72
    またそうやって「どの学者のどんな主張か」から話を逸らす
    参考図書を挙げてくれと何度も何度も何度も言われてるのにそこからは逃げてばっかりだ
    嘘つきでなければ詐欺師というものだ

  74. 名無しさん | URL | -

    ※69
    ついでにいうと元々俺が書いた書きこみ※4を異論として批判してきた人がいるので反論しているだけなんだけどね。
    貴方まず俺より先にいうべき相手がいるんじゃないのかね?

  75. 名無しさん | URL | -

    >>73
    俺は史料にそって主張している。
    学者のコメントには興味ないんで
    それはあくまでその学者の見解にすぎないから、
    宮本や笠原は偏諱などが盛んにおこなわれた当時において諱は大事なものである、ここまでは正しいし賛同する
    そのあとのそれを無断で使うのは問題視された、というのは史料的な根拠がなく
    ただその学者の見解にすぎない、史料もないのに賛同することはできない
    江戸時代以前に忌み名の無断使用とやらで他国に攻め込んだ事例があるのならそれを示すべきだが、
    それがない以上、ただのその学者の見解にすぎないと判断せざるをえない

    大切なものであるからこそ、あえて使う、その人の忌み名を使うことで敬意を示すというのも当時はあったことだからね。ひと昔前は天皇や皇太子にあやかって一字もらって子供の名前に付けたりすることは珍しくなかったようにね。日本にはそういう文化もあったので

  76. 人間七七四年 | URL | -

    ※75
    そうか、では自分の主張が独自研究と認めるわけだな
    「それはあくまであなたの見解にすぎないから」無視されてもかまわんのだな

  77. 人間七七四年 | URL | -

    角が立つからコメントしないでほしいって書いたのに、何で当人が書くかなぁ
    別の方の待ってます

  78. 人間七七四年 | URL | -

    ※75の主張は端的に規則と慣習の区別が無いんだよね
    ルールがないからって何やっても誰からも文句言われずに済むかっつったらそうじゃないのは明らか。無礼非礼をやったら関係は悪くなる、でもどのくらい悪くなるかは無礼具合や相手との関係性によりまちまち、同じことをしても人により相手により、何事も起きなかったり戦争になったりする。それだけの事では?
    「武士の本懐は『ナメられたら殺す』」(だっけ?)のフレーズがよく取り上げられたけど、舐める舐められるってルールで決まってるもんじゃないでしょ。「家康だけが文句言った」のと「秀頼だけが文句言われるようなことをした」のは一体不可分のことで、他に戦争になった例が無いからってだけで家康が無茶言ったとは決められないし、いくら「ルールなかった」連呼しても慣習の存在を否定はできない

  79. 人間七七四年 | URL | -

    管理人もいい加減対処しろよ
    明らかに場が荒れる原因になってるのに、いつまでこんな奴放置してんだ

  80. 人間七七四年 | URL | -

    対処はしてるでしょ。性急過ぎ

  81. 人間七七四年 | URL | -

    こんだけ荒れてるのに性急過ぎとか・・・

  82. 名無しさん | URL | -

    ※76
    独自研究というよりも通説だな
    支える史料のない学者の独自見解による新説よりも、支える史料のある通説にこそ説得力があるからね
    君がどう判断するかは君の自由だ、通説や逸話に納得したくないのなら別にいいんじゃないの

    ※78
    だからそれを普通は難癖やらいちゃもんと判断しませんかね?って何度も言ってるんですが
    それまで誰も問題にはしなかった、家康も子供に吉の字つけてるけど、自分の忌み名使われるのは許さないと、家康だけが問題視したのだからね
    鐘銘の文読めばわかるけど、あれ別に家康を侮辱するものでもなんでもないからね。むしろ家康に媚びた内容、片桐が書かせたんだから当然なんだけどね

  83. 人間七七四年 | URL | -

    こんなところで素人相手に管巻いてないで査読してもらえる学術誌にでも論文出しに行ってください、迷惑です
    こっちは史料にのっとった上で専門的な知識のある信用ある研究者を信用します、それだけです

  84. 人間七七四年 | URL | -

    ※82
    だから通説ってどこの誰の通説だよ
    教科書レベルでいいから挙げてみてくれよ

  85. 人間七七四年 | URL | -

    ※78
    「誰も問題にはしなかった」のはできなかっただけで、権威が高まった家康だけが問題にできたってことでしょ。なら慣習としての避諱は前々から存在したけどその慣習に従わない奴もいた、で話通じるじゃん。家康以降急にルールができたなんて解釈する必要無い…って何度も言ってるんですが

  86. 人間七七四年 | URL | -

    というか五山の坊さんが言語道断とまで言ってるならもう結論出てんじゃん、例え後年の人でも故事典籍に通暁してる人が全否定してんだから。※72は前例が無いのを問題にしたい風だけど、そもそも当時の家康ほど権勢の高まった人の存在自体前例が無いんだから、「そういう人に対してどう遠慮するべきか」みたいなのが前例無い水準になるのはむしろ当たり前でしょ。おかしいと思う方がおかしい

  87. 名無しさん | URL | -

    ※83
    新説は史料にのっとってないからダメなんですけどね
    ※84
    そこらの書店いって日本史の本買ってきたら?ていうか教科書にも方広寺を口実にして攻め込んだことは書かれているはずだけどね。少なくとも10年くらい前まではあった
    ※85
    家康の権威が高まったという根拠、慣習として避諱があったという根拠
    その両方がないので家康が難癖をつけた以外の解釈が成り立たないんですよ

  88. 人間七七四年 | URL | -

    だから、ここで管巻いてないで学術誌にでも論文載せてこいよ
    史料に則ってないだなんだ言いながら研究者に敬意も払ってないで恣意的に選んだ史料素人相手にごり押ししてるようにしか見えんわお前

    いつまで僕ちん正しいってうだうだ言ってんだよ それをやめろって管理人から言われた事も理解できないのか

  89. 人間七七四年 | URL | -

    ※87
    江戸時代以前は避諱がなかったというのも十分新説だと思いますが

  90. 人間七七四年 | URL | -

    一々コテハン使って持論展開を繰り返している側も十分に問題なのだけど、
    一々それに反論している側も十分邪魔しているって自覚して欲しいんだけど?
    何の為に管理人が注意したか理解しているのだろうか?

  91. 人間七七四年 | URL | -

    >家康の権威が高まったという根拠
    そんなの※87の大好きな定説でしょ、大権力を掌握した家康が諸侯を強力に統制して長期間幕政を維持する体制云々とかなんとかそういうの。というか、広大な版図を領知して莫大な収入があって全国から大兵力を動員できる軍権保持してる最高官位の征夷大将軍を家職化した家の長者が、権威だけどっかの誰かに劣ってるとか有り得るわけ?劣ってるって根拠の方を示すべき
    >慣習として避諱があったという根拠
    だから五山が言語道断言ったならもうほぼほぼ決まりでしょうよ。※87は上の方で「江戸時代に生まれた」とか言ってるんだから、江戸時代なら誰が見てもダメだと思うってつもりなんでしょ。誰でも同じ認識でいるならわざわざ断るまでもない。五山の高僧だかが言語道断て言ったなら「鍾銘を作った当時の感覚からしても言語道断だと思う」て意味にしか取れない。自分で引用しといて何を言うやら
    >難癖をつけた以外の解釈が成り立たない
    逆。だって、現に大坂陣が起こって豊臣家はただの一家の支持も得られず滅ぼされるんだから。仮に「難癖」でそこまで持っていけたとすると、家康はそういう「途轍もない横車を押し通せる絶大を突き抜けて巨大な」権力権威を保持してたことになってしまうので、上の「家康の権威が高まったという根拠がない」という主張に矛盾する。難癖だと主張するなら家康の権威を認めざるを得ないし、家康なんか大したことなかったと言うなら鍾銘を咎められるのは当然と考えないといけない
    家康貶めたいって気分は分からんでもないけど、気分だけで難癖難癖言うのは止めた方がいいと思うよ、豊臣家の為に。「豊臣はそんな無理筋の追及すら躱すことのできなかったクソ外交ザコ大名」て話にならざるを得ないんだから

  92. まとめ管理人 | URL | -

    こちらでの『議論』は、この記事の感想から、既に大きく逸脱しています。このあたりで止めて頂きたいと思います。
    これ以上続く場合は、他の閲覧者の皆さんにとっても不快でありますから、管理人として処置を取らせて頂きます。

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