379 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/01(木) 00:03:29.31 ID:A8tUaSNv
『多聞院日記』より、吉川平介着服事件の解釈
天正16年12月7日、(吉川)平介という人、大納言殿(豊臣秀長)より紀伊国の大将として雑賀に城をこしらえ、富貴に暮らしていた。
「熊野山の木を売るべし」と命じられ、2万本を選んで切り出し、大坂へ輸送した。そして、売り上げを毎月、過分に「上之」。
関白はこれを聞き及び、「曲事である」と召し捕らえ、おととい5日、西大寺で誅殺させた。
「主には一円、無過事也」。秀長は天下の面目を失った。
跡には金子700枚を持ち、「上之」という。
「女子供は不苦云々」、不情不便なことであった。
天正17年1月5日、秀長は昨冬、熊野の木を売りつけ、関白の御意に合わなかった。正月のお見舞いでもお目見えがかなわず、仕方なく帰ってきたので寺々への諸礼がなかったそうだ。
※とにかく意味の取りにくい記事なんですが、いろいろと解釈できます。
浅学非才ゆえ、この有名な事件にほかの原典があるのかなど知らないのですが。
①(これが定説?)平介が勝手に着服した。その額は金子700枚に及び、その分をあとになって秀長が太閤へ献上した。
②金に汚いことで知られる(諸大名に高い値段で兵糧を売ろうとしたり)秀長が平介に命じ、大仏殿建設で高騰していた貴重な木材を普請用に提供せず、売り払った。(1月5日記事には平介のへの字も出ていない)
③これはかなり無理な解釈ですが、秀吉が秀長に命じ、熊野の木を売らせた。その代金のうち、かなりを平介が秀長に献上していた。太閤はそれを知って立腹した。
いずれにせよ、私の誤訳や勘違いがあると思うので、ご参考までに。
ちなみに、この記事の前後は聚楽第への落書きに対する処分であったり、秀吉の苛烈な言動がいろいろと記されています。
9月3日条では、
先般、関白の大事にしていた刀が盗まれ、ついに行方が知れなかった。
これによって男女があまた磔にされた。浅野弾正の甥も腹を切り、「諸方以外震動」。ひときわ機嫌が悪い様子で、「狂乱ノ始也云々」。頼朝の守り刀、一文字で無類の重宝だったという。ありかは未だに分かっていないそうだ。
と記されています。平介事件も秀吉が権力者としておかしくなりだしていたことを念頭に置いて考えるとおもしろいかもしれません。
380 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/01(木) 00:16:01.32 ID:SryfC8MZ
よく秀長が長生きだったら朝鮮出兵や秀次、利休の切腹は無かった説があるけど
ぎりぎり名補佐役の面目が立つ時期に死んだだけで後2~3年生きていたら粛清されていたかもな
382 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/01(木) 00:56:20.22 ID:nLSNZYeT
秀吉自身の方針の混乱は
秀長・大政所・鶴松の死、秀次養子縁組と秀頼誕生が複雑に絡み合ってるからなんとも言えないかなぁ
少なくとも大政所が生きてる限り秀長の粛清はできないと思う
383 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/01(木) 08:42:33.98 ID:pyId+6bq
大政所自体は諌めるだろうけど、それで秀吉がやめるかなぁ
正直秀長の当時の評判って悪いし
384 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/01(木) 19:28:31.45 ID:SryfC8MZ
かーちゃんが生きていれば命は大丈夫だと思うけど朝鮮出兵の総責任者かな、大和紀伊召し上げ朝鮮半島切り取り次第とか言われそう
385 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/01(木) 19:33:34.48 ID:mN8KDRpT
戦闘員が大量に余ってるんだから外征しなきゃ内乱になるだろ
そもそも唐入りが悪かったというのは結果論で、中華周辺異民族が中原目指すのは普通のことだし
386 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/01(木) 21:05:28.44 ID:B1l19ekP
戦闘員でなぜか景勝の母親が浮かんだ
387 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/01(木) 21:57:09.03 ID:r9WCf6jv
それ仙桃院
『多聞院日記』より、吉川平介着服事件の解釈
天正16年12月7日、(吉川)平介という人、大納言殿(豊臣秀長)より紀伊国の大将として雑賀に城をこしらえ、富貴に暮らしていた。
「熊野山の木を売るべし」と命じられ、2万本を選んで切り出し、大坂へ輸送した。そして、売り上げを毎月、過分に「上之」。
関白はこれを聞き及び、「曲事である」と召し捕らえ、おととい5日、西大寺で誅殺させた。
「主には一円、無過事也」。秀長は天下の面目を失った。
跡には金子700枚を持ち、「上之」という。
「女子供は不苦云々」、不情不便なことであった。
天正17年1月5日、秀長は昨冬、熊野の木を売りつけ、関白の御意に合わなかった。正月のお見舞いでもお目見えがかなわず、仕方なく帰ってきたので寺々への諸礼がなかったそうだ。
※とにかく意味の取りにくい記事なんですが、いろいろと解釈できます。
浅学非才ゆえ、この有名な事件にほかの原典があるのかなど知らないのですが。
①(これが定説?)平介が勝手に着服した。その額は金子700枚に及び、その分をあとになって秀長が太閤へ献上した。
②金に汚いことで知られる(諸大名に高い値段で兵糧を売ろうとしたり)秀長が平介に命じ、大仏殿建設で高騰していた貴重な木材を普請用に提供せず、売り払った。(1月5日記事には平介のへの字も出ていない)
③これはかなり無理な解釈ですが、秀吉が秀長に命じ、熊野の木を売らせた。その代金のうち、かなりを平介が秀長に献上していた。太閤はそれを知って立腹した。
いずれにせよ、私の誤訳や勘違いがあると思うので、ご参考までに。
ちなみに、この記事の前後は聚楽第への落書きに対する処分であったり、秀吉の苛烈な言動がいろいろと記されています。
9月3日条では、
先般、関白の大事にしていた刀が盗まれ、ついに行方が知れなかった。
これによって男女があまた磔にされた。浅野弾正の甥も腹を切り、「諸方以外震動」。ひときわ機嫌が悪い様子で、「狂乱ノ始也云々」。頼朝の守り刀、一文字で無類の重宝だったという。ありかは未だに分かっていないそうだ。
と記されています。平介事件も秀吉が権力者としておかしくなりだしていたことを念頭に置いて考えるとおもしろいかもしれません。
380 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/01(木) 00:16:01.32 ID:SryfC8MZ
よく秀長が長生きだったら朝鮮出兵や秀次、利休の切腹は無かった説があるけど
ぎりぎり名補佐役の面目が立つ時期に死んだだけで後2~3年生きていたら粛清されていたかもな
382 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/01(木) 00:56:20.22 ID:nLSNZYeT
秀吉自身の方針の混乱は
秀長・大政所・鶴松の死、秀次養子縁組と秀頼誕生が複雑に絡み合ってるからなんとも言えないかなぁ
少なくとも大政所が生きてる限り秀長の粛清はできないと思う
383 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/01(木) 08:42:33.98 ID:pyId+6bq
大政所自体は諌めるだろうけど、それで秀吉がやめるかなぁ
正直秀長の当時の評判って悪いし
384 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/01(木) 19:28:31.45 ID:SryfC8MZ
かーちゃんが生きていれば命は大丈夫だと思うけど朝鮮出兵の総責任者かな、大和紀伊召し上げ朝鮮半島切り取り次第とか言われそう
385 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/01(木) 19:33:34.48 ID:mN8KDRpT
戦闘員が大量に余ってるんだから外征しなきゃ内乱になるだろ
そもそも唐入りが悪かったというのは結果論で、中華周辺異民族が中原目指すのは普通のことだし
386 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/01(木) 21:05:28.44 ID:B1l19ekP
戦闘員でなぜか景勝の母親が浮かんだ
387 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/01(木) 21:57:09.03 ID:r9WCf6jv
それ仙桃院
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コメント
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難地の紀州・大和を問題なく統治出来る政治能力、別動隊とはいえ10万の大軍を指揮できる能力と実績
下手に有能過ぎて長生きしてたか壮年の実子が居たらマジで秀次と同じ末路になってそう
( 2020年10月01日 21:33 )
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