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週刊ブログ拍手ランキング【10/01~/07】

2020年10月07日 14:52

10/01~/07のブログ拍手ランキングです!


『公人朝夕人土田氏由緒』より、信長、秀吉、家康の小便を支配した男 14

現在、公方様はただ 10

大阪夏の陣、戦闘が終わった後の出来事 9
『浅井一政自記』より大阪落城と秀頼の切腹までの顛末 8
徳川家康の鷹狩のスケジュール 7

『諸士軍談』より、老いた家康のはちゃめちゃ① 6
『多聞院日記』より、吉川平介着服事件の解釈 5
『諸士軍談』より老いた家康② 4
『浅井一政自記』より、天王寺・岡山合戦の模様 4


今週の1位はこちら!『公人朝夕人土田氏由緒』より、信長、秀吉、家康の小便を支配した男です!
この土田氏というのは、鎌倉期より将軍、武家の棟梁の側近くで仕えていますが、武士ではな奉公人、中間身分であったと
され、基本的には雑用係なんですね。しかし中世という時代は、そういう職務もある種の格式を以て家職化するものなんですね。
これは仕える土田氏だけでなく、雇用する将軍などにとっても、そのような雑務に土田氏を用いるということが、ある種の正当性や
権威を担保したのでしょう。だからこそ近世まで受け継がれたのでしょうね。
そういえばこの「公人朝夕人」、江戸期ではあくまで公式行事のための役職で、彼らが普段どんな仕事をしていたのかは
不明なのだそうで。江戸期のものなら何らかの記録がありそうなものなのですが、そういった所も不思議です。
何かしらミステリアスさも感じる、面白い内容だと思いました。

2位はこちら!現在、公方様はただです!
宣教師たちの室町将軍、この時は足利義輝に対する認識が表された記事ですね。武家の棟梁、支配者としての
征夷大将軍の歴史を割と正確に認識している所も面白いのですが、その上で「将軍権威が衰退した」という事が、
宣教師だけでなく、おそらく当時の日本の世間一般に認識されていたと考えられ、そういった一般認識が存在したと
頭に入れた上で当時の歴史を見ると、また違った景色に成るかも知れません。
そしてこの書状の出された年に永禄の変が起こるわけなのですが、一般に永禄の変は、足利義輝の主導する将軍権威の
復活に、三好家が危機感を抱いたことが原因、と説明されがちです。しかしこの書状の内容を見る限りでは、そのように
義輝が幕政の主導権を取り戻していたと見られるものは無く、少なくとも宣教師、あるいは世間一般の印象として、
幕府権威の復活というものは感じられていなかった、と言えるかも知れません。
いろいろなことを感じさせてくれる内容だと思いました。

今週管理人が気になった記事はこちら!『浅井一政自記』より大阪落城と秀頼の切腹までの顛末 です!
浅井一政が見た大阪方の敗北から秀頼切腹までの内容ですね。これはいわゆる覚書の類で、かつ一種の自己弁護、正当化
を表現しており、そういった部分は差し引く必要はあるのでしょうが、大体において正しく描写されていると考えられます。
秀頼が最初殿守(天守)で切腹しようとしたのを大野治長などの反対で止めたというあたりなど、大変生々しさを感じます。
この間、浅井一政が常高院の元に派遣されたことも含めて、助命など様々な動きが有ったのでしょう。この期に及んで、
という見方もあるのでしょうが、秀頼側としては強硬な浪人衆達が滅んだおかげで、ようやくそう動くことが出来るように成った、
という面もあるかも知れません。
この記事も又、誰の立場で見るかによって、様々な受け取り方の出来る、そんな内容だと思いました。


今週もたくさんの拍手を、各逸話に頂きました。いつもありがとうございます!
また気になった逸話を見つけた時は、そこの拍手ボタンを押してやってくださいね!
(/・ω・)/
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