625 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/11(日) 00:16:50.80 ID:21YW+/jL
私はパードレ・メストレ・ベルショールの同伴した少年の所有していた、金襴の飾りの在る
古い長袍、及び船室に用いていた古毛氈一枚を豊後より持参していたが、パードレはこの毛氈によって、
開いた広袖の衣を作り、この衣と長袍を着し、その上に甚だ美麗なる他の衣を着し、黒頭巾を被った。
私はキモノとポルトガルの羅紗のマントを着し、準備を整えた。
パードレは輿に乗り、私は他の輿に乗ったが、支那の大官の用いる、閉じ囲んだ椅子に似ていた。
十五、ないし二十人のキリシタンが同行した。私は他の品も持っていないため、硝子の大鏡、帽子、琥珀、
沈香少量、及び竹の杖を持参した。
我等の住院より公方様(足利義輝)の宮殿(二条御所)に至る距離は一レグワの四分の一にして、道は真っ直ぐ、
かつ平坦であった。
我等は先ず、身分甚だ高き料理番頭(大炊頭の事か)の家に赴いた。彼は公方様の宮廷に於いて最も重用
されている者の一人であったが、その時は外出していたためその長子が出て、我等を大いに歓待し、
鍍金の器を以てカカンゾキ(cacanzoquy)を与え(盃か)、次いでその父も来たが、我等は彼に沈香少量を贈り、
共にその家を出て宮中に赴いた。
公方様の邸は甚だ深い堀を以て囲み、橋によってこれを渡る。邸外には兵士三、四百と多数の馬があった。
パードレ及び私は中に入ったが、大身たちは皆大いに我等を厚遇した。我等は一室に入って暫く待っていたが、
これら武士はその外に居た。
次いでパードレはかの老人とともに、更に二室を進み、公方様が我等を待っている場所に到った。
老人は礼を成して退き、私は侵入したが、ここで私は尊師に証言する。私は今日まで、全く木造にして
このように好く、美事なる家を見たことがない。どういう事かと言えば、公方様の居られた室の布(襖か)は、
尽く金の繍を施して、蓮及び鳥を写した、甚だ精巧にして種々の技巧が加えてあった。
窓の格子は嘗て見たものの中で最良のものであった。
外より三番目の室に在った時、(我等を案内した)料理番頭をして、パードレの着していたカバ(マント)は
「メンズラシ」(珍しい)、即ち我が国語にて美麗なる物であるので、これを見たいと伝え、これを持ち去り、
直ぐに還付された。
次に一室の中央にある他の戸を開くと、そこに王妃(近衛稙家娘)が座しており、老人は沈香を献じた。
我等が戸の外より礼を成したる後、老人とともに公方様の母(慶寿院・近衛尚通娘)の家に行った。
この家は同一の地所の内に在るが、他の庭を有していた。我等は三、四の甚だ美麗にして、また装飾を施した
室を通り、一室に到ったが、室には多数の婦人が座していた。老人はパードレのために、定例の紙(杉原紙)、
及び金扇、私のために金色の磁器を公方様の母に献じた。次にカカンゾキ、すなわち飲むに用いる盃を
持ってきた。彼女が先ずこれを取り、次に婦人等をして、これを我等に与えしめ、また我等の間における
オリーブの実と同じ「サカナ」(肴)を、食事の際に用いるファシ(箸)、即ち棒を以て自ら我らに与えた。
もし宮廷で寵愛を得ようとする者ならば、これを以て名誉と喜ぶであろう。
公方様の母は某寺院の女長老、その他家人と共に在った。その静寂、謙譲、整頓された様子は、私をして
僧院に在るかのような思いを成させた。
公方様の母は阿弥陀の堂の戸を後ろにして座していたが、堂は清浄なる装飾を施し、阿弥陀の像は
端麗なる少年のごとく色彩を施し、冠を被り、頭より金の光線を発していた。
我等の主デウス、彼を導きデウスが創造主、および救主であることを知り、彼にのみ仕えるに
至らしめ給わらんことを。
我等は最初に立ち寄った料理番頭の家に到った時、彼らはデウスの事について長い説教を聞くことを
求めた故に、これに応じたが、彼らは大いに喜んだ。
『一五六五年三月六日附、パードレ・ルイス・フロイス書翰』(日本耶蘇会通信)
フロイスらの、正月の足利義輝謁見の様子
626 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/11(日) 16:42:48.86 ID:JOvvvpsA
阿弥陀にやられそうになってて草
630 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/12(月) 08:45:34.32 ID:t/jZIG41
「日本通信」版では「少年のように」だけど
1565年3月6日書簡版では
「幼子イエスのように」
とキリスト教徒としてかなりやばい表現という
私はパードレ・メストレ・ベルショールの同伴した少年の所有していた、金襴の飾りの在る
古い長袍、及び船室に用いていた古毛氈一枚を豊後より持参していたが、パードレはこの毛氈によって、
開いた広袖の衣を作り、この衣と長袍を着し、その上に甚だ美麗なる他の衣を着し、黒頭巾を被った。
私はキモノとポルトガルの羅紗のマントを着し、準備を整えた。
パードレは輿に乗り、私は他の輿に乗ったが、支那の大官の用いる、閉じ囲んだ椅子に似ていた。
十五、ないし二十人のキリシタンが同行した。私は他の品も持っていないため、硝子の大鏡、帽子、琥珀、
沈香少量、及び竹の杖を持参した。
我等の住院より公方様(足利義輝)の宮殿(二条御所)に至る距離は一レグワの四分の一にして、道は真っ直ぐ、
かつ平坦であった。
我等は先ず、身分甚だ高き料理番頭(大炊頭の事か)の家に赴いた。彼は公方様の宮廷に於いて最も重用
されている者の一人であったが、その時は外出していたためその長子が出て、我等を大いに歓待し、
鍍金の器を以てカカンゾキ(cacanzoquy)を与え(盃か)、次いでその父も来たが、我等は彼に沈香少量を贈り、
共にその家を出て宮中に赴いた。
公方様の邸は甚だ深い堀を以て囲み、橋によってこれを渡る。邸外には兵士三、四百と多数の馬があった。
パードレ及び私は中に入ったが、大身たちは皆大いに我等を厚遇した。我等は一室に入って暫く待っていたが、
これら武士はその外に居た。
次いでパードレはかの老人とともに、更に二室を進み、公方様が我等を待っている場所に到った。
老人は礼を成して退き、私は侵入したが、ここで私は尊師に証言する。私は今日まで、全く木造にして
このように好く、美事なる家を見たことがない。どういう事かと言えば、公方様の居られた室の布(襖か)は、
尽く金の繍を施して、蓮及び鳥を写した、甚だ精巧にして種々の技巧が加えてあった。
窓の格子は嘗て見たものの中で最良のものであった。
外より三番目の室に在った時、(我等を案内した)料理番頭をして、パードレの着していたカバ(マント)は
「メンズラシ」(珍しい)、即ち我が国語にて美麗なる物であるので、これを見たいと伝え、これを持ち去り、
直ぐに還付された。
次に一室の中央にある他の戸を開くと、そこに王妃(近衛稙家娘)が座しており、老人は沈香を献じた。
我等が戸の外より礼を成したる後、老人とともに公方様の母(慶寿院・近衛尚通娘)の家に行った。
この家は同一の地所の内に在るが、他の庭を有していた。我等は三、四の甚だ美麗にして、また装飾を施した
室を通り、一室に到ったが、室には多数の婦人が座していた。老人はパードレのために、定例の紙(杉原紙)、
及び金扇、私のために金色の磁器を公方様の母に献じた。次にカカンゾキ、すなわち飲むに用いる盃を
持ってきた。彼女が先ずこれを取り、次に婦人等をして、これを我等に与えしめ、また我等の間における
オリーブの実と同じ「サカナ」(肴)を、食事の際に用いるファシ(箸)、即ち棒を以て自ら我らに与えた。
もし宮廷で寵愛を得ようとする者ならば、これを以て名誉と喜ぶであろう。
公方様の母は某寺院の女長老、その他家人と共に在った。その静寂、謙譲、整頓された様子は、私をして
僧院に在るかのような思いを成させた。
公方様の母は阿弥陀の堂の戸を後ろにして座していたが、堂は清浄なる装飾を施し、阿弥陀の像は
端麗なる少年のごとく色彩を施し、冠を被り、頭より金の光線を発していた。
我等の主デウス、彼を導きデウスが創造主、および救主であることを知り、彼にのみ仕えるに
至らしめ給わらんことを。
我等は最初に立ち寄った料理番頭の家に到った時、彼らはデウスの事について長い説教を聞くことを
求めた故に、これに応じたが、彼らは大いに喜んだ。
『一五六五年三月六日附、パードレ・ルイス・フロイス書翰』(日本耶蘇会通信)
フロイスらの、正月の足利義輝謁見の様子
626 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/11(日) 16:42:48.86 ID:JOvvvpsA
阿弥陀にやられそうになってて草
630 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/12(月) 08:45:34.32 ID:t/jZIG41
「日本通信」版では「少年のように」だけど
1565年3月6日書簡版では
「幼子イエスのように」
とキリスト教徒としてかなりやばい表現という
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コメント
人間七七四年 | URL | -
マント見て喜ぶ武士かわいい
( 2020年10月11日 21:14 )
人間七七四年 | URL | -
美しいは正義だな。
日本のキリスト教徒もロザリオやマリア像、賛美歌、聖画の美しさにやられた。500年近く前のこととはいえフロイスが悪魔呼ばわりするのに向かっ腹が立ってた。だからフロイスが阿弥陀像の荘厳な美しさに参ったのは、かなり小気味好い。
だって日本からキリスト教の螺鈿の細工物の聖具は逆輸出されてた程だからな。日本の職人の腕は昔も舐めちゃいけない。
( 2020年10月13日 00:04 )
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