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池田光政の少年時代のこと

2020年11月02日 16:30

676 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/11/02(月) 14:21:50.00 ID:gpMCPYrC
公(池田光政)が東照宮(徳川家康)に御目見得有ったのは、五つの御歳であった。
その時、御脇差を拝領し、公が御膝下近くに居られたのを、東照宮は公の鬢髪をかきなでて

「三左衛門(池田輝政)の孫であるか、早く人になり給え」

と仰せになった。この時公は、御拝領の脇差をするりと抜いてご覧になった。東照宮は「これは危ないことだ」
と、ご自身で柄を持たれ、鞘に納められた。

公が退出される時、「眼光のすさまじき、只人ならず」との東照宮の上意が有った。

公が未だ幼き時、夜ごとに寝床に入られても、眠られること無く、夜明け頃にわずかに枕に伏された。
近侍の人々は怪しみ、「いかなる事でしょうか?又は患われている事でもあるのでしょうか」と尋ねたが、
しかじかと答えられなかった。

ところがある夜より、非常に良く寝られるように成った。そこで近侍の人々も又々その故を問うた所、

「私は父祖のお陰で、このような大国を賜っっている事は、自分の分に越えた事だと思っている。
然れば、この国民をいかがして治め養うべきかと、様々に心を尽くして思慮していたために、久しく
寝られなかったのだが、思いついたことが有って、昨日論語を読ませて聞いたが、そこで私は
『君子の儒となりて、国産を教えやすんずべき』という事を知った。
これを決断した上は、別の思慮も無く、良く寝られるようになった。」
と仰せになった。
(御歳十四の御時の事という。一説には公が学問を思し召し付かれた最初である)

有斐録

池田光政の少年時代のこと



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    どちらかというと、幼少継嗣を理由に10万石削られて藩財政が苦しかったのが原因じゃないのかな
    藩士の帰農や俸禄削減等で藩政が混乱していたが、そういうのが落ち着いてやっと眠れるようになったと
    岡山転封は表高は更に1万石減るけど、分家作れるほど余裕が出来たみたいだし内高は増えたようだね

  2. 人間七七四年 | URL | -

    「人になり給え」っていう言い回し面白いな
    立派な大人になれよ、ぐらいの意味合いかな

  3. 人間七七四年 | URL | -

    たぶんそういう意味で間違い無いと思うけど、何だっけな?ソースが2chの書き込みな上に正式な言い回し忘れちゃったけど、昔は『4歳(5歳だったかも)以下は霊の内』みたいなコトワザ?があって、要は『幼い子供はまだ人間とは扱わない。生物ですらなく霊的な存在』って意味らしい。医療が貧弱だった昔はとにかく子供の死亡率が高く、ちょっとした事で死ぬので「まだ生きている内には数えない」って事と、「知恵も低く変な事を言ったりする(心霊的な意味で)のでイチイチまともに取り合わない」って意味も含まれていたらしい。
    家康が言った事にそういう意味が含まれていたか判らないけど、まあ「人になれ」=「大人になれ」で問題ないと思う。大人じゃないと人とは言えない。元気で丈夫に育てって意味も込めて。
    それにしても幼児の頭撫でてたら脇差し抜かれましたって、本当に危ねーな、おい。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    7歳までは人間じゃないとはよく言うね。
    飢饉の時の口減らしの話なんかで良く出てくる。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    七歳までは子供は人ではなく神様のもの
    だから七つのお祝いに神様にお礼参りをするし、帰りに神様に奪われないよう気を付けねばならない(とおりゃんせ)

  6. 人間七七四年 | URL | -

    ※5殿
    歌詞の意味は確かにソレなんだけど、歌の起源の一説に川越城の郭内に神社があったからって意味合いの説
    があるから、もしかしたら神頼みと怪しい人間として捉えられる危険を掛けたのかもね?

  7. 人間七七四年 | URL | -

    元就が四男以下を「虫けらなるような」と表現したのも同じ文脈だろうか

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