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足利義昭への謁見

2020年11月04日 16:48

677 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/11/04(水) 15:34:53.38 ID:bivcHs1J
尾張の王(信長)への訪問後二日を経て、和田殿(惟政)は多数の兵を率いて当地に来たり、
「公方様(足利義昭)が私を引見することを協議したので、速やかに準備すべし」
と云った。

彼はすぐに宮殿に到って、私を待ち受けた。公方様は彼を甚だ寵愛しているがゆえに、私が何人で
あるかを告げ、パードレの名誉・地位を月の角の上に置かんとした。
私は人を堺に遣わし、ローケよし借り受けた美麗なる孔雀の尾を持参した。

公方様はその盃を私に与え、和田殿は私の次にこれを受けた。尊師の知られる如く、公方様は日本の
彫像にして、これを訪問する者に、一言をも述べるのは極めて稀な事であるが、この時は二回、和田殿に対し
私に勧めて飲ましむべしと云い、次に、彼に贈った品を喜んでいることを告げた。

私が座を立った時、彼は後より密かに座敷の戸を見、私の身長がどれほどかを計った。
我等が外に出た後、和田殿に対し常例の挨拶をなし、「公方様がもし、印度の品にて好むものが有れば、
我等は喜んでその命に応ずべし。」と述べると、彼はこの事に付き尽力し、支那の船が来た後、自分に
告げるようにと伝えた。

この訪問は、我等が都に滞在するための手始めであるが、主要にして最も確実なのは、ゴシュインと称する、
朱の印の免許状、すなわち我が国の国語にて、信長の命令、及び公方様の免許状、即ちゴゼンジ(御宣旨)
を入手する事であり、中でも信長の免許状は特にこれを請うたが、和田殿はこの交渉を引き受けた。

『一五六九年六月一日附、パードレ・ルイス・フロイス書翰』(日本耶蘇会通信

フロイス等の足利義昭への謁見について



678 名前:人間七七四年[] 投稿日:2020/11/04(水) 20:51:01.23 ID:kyhY7BdG
>>677
月の角の上ってなんでしょ
原文が日本語の直訳で再翻訳したらよく分かんなくなった感じ?
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    和田惟政 義昭信長政権でかなり重要人物っぽいけどこの2年後に亡くなるせわしなさでいまいちわからん人物よねー

  2. 人間七七四年 | URL | -

    ※1殿
    和田さんだけと言うよりも、この頃この地域自体が敵味方入り乱れてるだけでなく、
    かと思えば離合を繰り返すから、本当に誰がどの勢力なのか分からない

  3. 人間七七四年 | URL | -

    ※2
    荒木村重が何をどうやって信長麾下に納まったか未だに混乱する
    池田家臣?三好と戦ってる?ということは義昭派?えっでも下剋上して主君追い出してる
    あっそのタイミングで餅を食ったのか!?ってなる

  4. 人間七七四年 | URL | -

    記事本文とズレちゃうけど荒木村重はほんとに魅力的、最近梟雄って言われてた人達梟雄じゃねーじゃんって言われてる梟雄界のホープ
    金ヶ崎で恐らく被害多くて反発を受けた池田氏をしれーっと下克上した後摂津三守護の内2人平らげて三好方として義昭信長方の畿内支配揺らがしてたと思ったら、なんかいつの間にか信長方の畿内の重鎮の一人に収まってて信長から細川藤孝宛書状で無二の忠節って言われ、義昭離反に行動を共にした三守護の最後の一人も倒してる

  5. 人間七七四年 | URL | -

    ※4
    その後信長も裏切ったのは周知のとおりだし
    茶器を抱えて一人で逃げ家族家臣見殺しという鬼畜ムーブも梟雄ポイント高い
    茶人として畳の上で死んでるのだけが玉に瑕

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