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それ以降、斎藤内蔵助の異見の如く

2020年11月06日 18:16

683 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/11/06(金) 13:59:28.90 ID:ZA1G15La
私(蒲生氏郷)が儒道歌道茶湯ばかりに心がけていた頃、弓矢修行を仕っていた斎藤内蔵助(利三)と言う者が申すには、
「入らぬことに心を尽くすより、家職に心を入れよ」と云い、私は度々諌められたのだが、若輩故か、さほども
耳に留めず、そのまま打ち過ぎていった。

そんな所に、織田信長公が江州観音寺へ御出馬され、先手は伊賀衆、二番に美濃衆・近江衆の寄り合い勢であった。
その中に私も在り、敵に打ち向かっていた所、斎藤内蔵助はただ一騎来たりて、
「伊賀衆は今日先手を成すが、軍立、足軽の使いようが非常に乱雑に見える。あれでは城中より人数を押し出し
かかって来れば、敗軍するだろう。

その方、備えを西の山本、竹藪の内に隠し置き、先手が崩れたならば通し過ごし、敵陣の真ん中に横入りに
駆け入れば、必ず勝利を成すだろう。

また、崩れず恙無く引き取るようであれば、その時は伊賀衆に乗り向かい
『今朝よりの御働きのため、御草臥れに成られたことでしょう。私が入れ替わって跡を受け持ちます』と
断りを入れて殿を仕れば、これも高名となる。両方とも変わらない。」

そう申したので、その意に任せ、西の山本竹藪の中に人数を入れて待っていた所、案の定、伊賀衆は深入りし
観音寺の足軽に押し立てられ敗軍した故に、私は横入りにかかり、敵は逆に敗軍し、十四、五町追い討ちをし、
三十人ばかりの首を討ち取り、信長公の御目にかけた。そして『若輩が神妙の働きである』と、御感になり、
二字國俊の御腰の物を拝領仕った。

それ以降、斎藤内蔵助の異見の如く、武士に遊芸の誉れは要らぬと会得したのである。

蒲生飛騨守氏鄕書状之写

蒲生氏郷が、斎藤利三に武士としての有り様を教えられたというお話



684 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/11/06(金) 16:11:28.16 ID:bqJKElpR
なんで斎藤利三蒲生氏郷に対してこんなに偉そうなの
方や当時は稲葉一鉄の家臣、こなた信長の娘を娶り自ら烏帽子親を務めたほどの御曹司
弓の師匠であっても戦場では身分違いで気安く指示するような立場ではなくね?
あるいは軍監として付けられてたとか? でも陪臣を軍監として他の家の軍勢に付けたりするの?

あと斎藤利三蒲生氏郷も結局のちのち茶の湯はやってるじゃんというツッコミも

686 名前:人間七七四年[] 投稿日:2020/11/06(金) 23:15:19.49 ID:Q61bka++
>>684
この場合の弓矢って弓術じゃなくて戦のことじゃない?
アドバイス自体も「こうやるとどう転んでも手柄になるよ」って感じだから
受け入れ易いと思うし

687 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/11/07(土) 22:42:13.47 ID:8aJnR1j9
近江の国人の蒲生と美濃の国人の稲葉と斎藤の三者は身分違いつえるほど身分は違わないから特に違和感はないな
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    氏郷は信長に預けられてた頃稲葉一徹とも親しくしていた逸話もあるから、その縁で利三からも可愛がられてたんじゃないかな

  2. 人間七七四年 | URL | -

    >あと斎藤利三も蒲生氏郷も結局のちのち茶の湯はやってるじゃんというツッコミも

    男子中学生が勉強もせんと親からもらった小遣いでスタバで呪文唱えて「ドヤ顔」しているの見るのと、
    仕事の成果で給料に余裕ができた中年男性が趣味でコーヒーミルで豆挽いているのを見た時と

    比較したときに前者を見たときに「お前なぁ」ってのが「入らぬことに心を尽くすより」て感情じゃないの

  3. 人間七七四年 | URL | -

    昨夜ちょうど大好きな野球選手の引退試合があって程よく余韻引きずってるとこだけど、大物ルーキーが噂通りのエースに成長していく影には、こういう経験豊富で有能な裏方さん達が居てくれるものなんだろうね…そりゃみっちゃんも欲しがるわけだ。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    要は、「君、茶の湯ばかりやってないで、たまには武芸も鍛えようね」(意訳)という事でしょうか。何事も程度というものが

  5. 人間七七四年 | URL | -

    織部「本業と副業の区別はしっかりつけないとね!」

  6. 人間七七四年 | URL | -

    すいません、誰か教えてください
    1行目に「弓矢修行を仕っていた斎藤内蔵助」とあるけど、
    これは、内蔵助が(一人で鍛錬として)弓矢の修業をしていた、ということ?
    それとも、内蔵助が(氏郷に)弓矢の修業を奉じていた、ということ?

  7. 人間七七四年 | URL | -

    ※6
    「弓矢」は武士のシンボルで、転じて武士の本分=軍事全般を指す
    利三が氏郷に用兵術の指南をしていたと読むのが穏当かと

  8. 人間七七四年 | URL | -

    遊芸の誉れはいらぬと判断した結果、利休は見送らず助命嘆願もしない&先陣突撃狂になったのでは

    …後者もほどほどが良いのでは…

  9. 人間七七四年 | URL | -

    利三は元々、信長の相婿で
    政所代の外孫説あるし

  10. 人間七七四年 | URL | -

    利三って道三じゃない方の元の守護代の一族なのでは?

  11. 人間七七四年 | URL | -

    惟任退治記の大村由己に内蔵助は武芸ばかりするのではなく花鳥風月を愛でて人と接していたあるから
    何事もほどほどにってことじゃない?利三は茶会や連歌会に参加している記録あるしね。

  12. 人間七七四年 | URL | -

    ※8
    利休見送りの時に見送りや助命嘆願出来ない状況だったとかでは?会津を任されたばかりだし、葛西の一揆で京に居なかったりもあるし、そんな状況下で利休蟄居や切腹の2ヶ月前には京にいるとは言え、政宗も交えて一揆の件であれこれしてる状況だし。

  13. 人間七七四年 | URL | -

    頭の中で想像すると、例えば鶴翼の陣などの陣形にしても、敵の真ん中を不意打ちや挟み打ちにしても、上空から俯瞰するような絵図を想像をする。
    その点、
    >備えを…隠し置き、先手が崩れたならば通し過ごし、敵陣の真ん中に横入りに駆け入れば

    これは地上を動く兵士の目線。実践を積んだ臨場感があるな。

  14. 人間七七四年 | URL | -

    ※13
    キングダムの悪口はそこまでにしてもらおうか(違

  15. ※6 | URL | -

    ※7さん
    お礼が遅れてすいません
    丁寧な解説ありがとうございます!
    元スレのコメントで感じたモヤモヤがすっきりしました!
    引用も追加されてより背景がわかりました

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