705 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/11/14(土) 12:20:30.26 ID:eKnM9SJ7
ある時、豊臣秀吉公がいつもの御参内の時に、御装束を召し変えられている途中、施薬院にこのように云われた
「私は尾州の民間より出たため、草を刈る術は知っていても、筆を取ることさえ知らず、もとより
歌、連歌の道などを知るべきもないが、不慮に雲上に交わりを成す身となった。
ただし、我が母が若き時、内裏の御厨子所の下女であったが、思いもかけず玉体に近づき奉った事があった。
その夜の夢に、幾千万の祓箱が伊勢から播磨を指して、隙間もなく天上を飛び行き、また、ちはやぶる神が
見え、人々の手をとったという夢想を感じて、私を懐胎した。
この夢想が当たったと見えて、私は信長公より、御唐傘を許され播州に発向し、即時に斬り平らげ、別所を
従え、それよりすぐに、九州(西国という意味)にかかり、安芸の毛利と対陣し、彼等を水責めに
攻め殺さんとしたが、無道の明智日向惟任めが、六月二日に信長公を討ち奉ったという飛脚が到来した。
この事、天下にやがて隠れも無い事になるだろうから、敵に知らせず上洛するのは悪しき事だと思い、
しかじかの次第にて急ぎ罷り上がり主君の御弔合戦をいたさんと欲する。ただしこのような状況を見て、
我々の跡を追撃しようと思われるのなら、却ってその武勇は弱きに似ている、尋常に、只今一戦して、
それを弔い合戦にいたすべき、と申し使わせた所、毛利家も、さすがにあわれなることと感じたのか、
又は秀吉が主君のために身を捨てて最後の合戦をいたそうとするのを、恐ろしく思ったのか、異議もなく
人質を出したため、我々はそのまま上洛し、憎き惟任が鉾をほこりにほこって清龍寺まで出張してきたのを、
六月十三日に、山崎表より突き崩し、雑兵まで残らず討ち果たした。
惟任は主君の御罰が当たったのか、冥加尽きて、厠の中で、汚き百姓に殺されたが、その首を取り寄せて、
去る二日に失い奉った本能寺の焼け跡に、梟首にかけて我が鬱憤を散じたのである。
しかしながら、もし信長公が生きていた時、これほどの忠功を致して悦ばせ奉れば、一体どれほど自分も
嬉しいだろうかと、猶悲しみの涙が出て、しきりに落ちる故に、紫野にて御葬を勤め、太政大臣の御位を送り、
大徳寺に一宇を建立し、総見院殿を崇め奉ったのである。
(戴恩記)
秀吉の、出生から信長の葬儀までの回想
ある時、豊臣秀吉公がいつもの御参内の時に、御装束を召し変えられている途中、施薬院にこのように云われた
「私は尾州の民間より出たため、草を刈る術は知っていても、筆を取ることさえ知らず、もとより
歌、連歌の道などを知るべきもないが、不慮に雲上に交わりを成す身となった。
ただし、我が母が若き時、内裏の御厨子所の下女であったが、思いもかけず玉体に近づき奉った事があった。
その夜の夢に、幾千万の祓箱が伊勢から播磨を指して、隙間もなく天上を飛び行き、また、ちはやぶる神が
見え、人々の手をとったという夢想を感じて、私を懐胎した。
この夢想が当たったと見えて、私は信長公より、御唐傘を許され播州に発向し、即時に斬り平らげ、別所を
従え、それよりすぐに、九州(西国という意味)にかかり、安芸の毛利と対陣し、彼等を水責めに
攻め殺さんとしたが、無道の明智日向惟任めが、六月二日に信長公を討ち奉ったという飛脚が到来した。
この事、天下にやがて隠れも無い事になるだろうから、敵に知らせず上洛するのは悪しき事だと思い、
しかじかの次第にて急ぎ罷り上がり主君の御弔合戦をいたさんと欲する。ただしこのような状況を見て、
我々の跡を追撃しようと思われるのなら、却ってその武勇は弱きに似ている、尋常に、只今一戦して、
それを弔い合戦にいたすべき、と申し使わせた所、毛利家も、さすがにあわれなることと感じたのか、
又は秀吉が主君のために身を捨てて最後の合戦をいたそうとするのを、恐ろしく思ったのか、異議もなく
人質を出したため、我々はそのまま上洛し、憎き惟任が鉾をほこりにほこって清龍寺まで出張してきたのを、
六月十三日に、山崎表より突き崩し、雑兵まで残らず討ち果たした。
惟任は主君の御罰が当たったのか、冥加尽きて、厠の中で、汚き百姓に殺されたが、その首を取り寄せて、
去る二日に失い奉った本能寺の焼け跡に、梟首にかけて我が鬱憤を散じたのである。
しかしながら、もし信長公が生きていた時、これほどの忠功を致して悦ばせ奉れば、一体どれほど自分も
嬉しいだろうかと、猶悲しみの涙が出て、しきりに落ちる故に、紫野にて御葬を勤め、太政大臣の御位を送り、
大徳寺に一宇を建立し、総見院殿を崇め奉ったのである。
(戴恩記)
秀吉の、出生から信長の葬儀までの回想
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コメント
名無しさん | URL | -
そういえば松永は秀吉の祐筆もしてたか、施薬院にもご落胤を語っていたのは笑える
ここだと光秀は便所で農民に討たれたと死を貶めるように吹聴されてるな。
立派に自害することが求められるんだろうねえ
( 2020年11月15日 08:10 )
人間七七四年 | URL | -
検証されないと分かってるから盛りに盛り放題ですやん
( 2020年11月15日 10:50 )
人間七七四年 | URL | -
※2
大内義隆「盛(さか)りに盛(さか)り放題とな?」ガタッ
( 2020年11月15日 15:48 )
人間七七四年 | URL | -
> 、我が母が若き時、内裏の御厨子所の下女であったが
こっからもう顎が開きっぱなしになった。
( 2020年11月15日 18:32 )
人間七七四年 | URL | -
卑賤の身から一代で成り上がったから頼朝よりも偉いアピールもしたいし、御落胤も匂わせたい(察しろという圧力)
流石太閤
( 2020年11月15日 18:54 )
人間七七四年 | URL | -
当時の感覚は本当に分からない。見え透いた嘘を重ねたって家臣どころか他家大名衆だった人たちだって
みんな秀吉の出自なんて知ってるだろうに、なんでこんな嘘つく必要性があったのだろう?
見栄って怖いね
( 2020年11月16日 01:43 )
人間七七四年 | URL | -
そりゃ建前がなきゃ自分と同じように下々から成り上がってやるって連中がゾロゾロわいてくるかも知れないし
( 2020年11月16日 08:08 )
人間七七四年 | URL | -
こんなの読むと、光秀が土民に殺されたってのも、貶めるためのデマと疑いたくなる。
( 2020年11月16日 14:14 )
人間七七四年 | URL | -
え?坊さんになって家康に仕えたんじゃなかったっけ?
( 2020年11月16日 18:06 )
人間七七四年 | URL | -
荒深と名を変え関ヶ原に参戦しようとしたに一票。
最後は敢え無かった。
( 2020年11月16日 19:13 )
人間七七四年 | URL | -
中世人の心理として「卑賎の生まれは卑賎の者になり、高貴な生まれは高貴な者になる」という
ある種カースト的な運命論があったんじゃないかなと思う
だから「位人臣を極めた秀吉が只の卑賎の者であるはずがない」という逆算が働き
「さる高貴なお方の御落胤」というストーリーが多少なり説得力を持っていたのかも
( 2020年11月16日 19:37 )
人間七七四年 | URL | -
そう言えばフロイスの記述だったかな?伊勢から弟を名乗る人物が到着して、
母親に確認を取らなくてはならなかったと言う逸話がありましたよね?
結局この連中は詐欺と言う事で処刑されたようだけど
つまり秀吉の出自故にコンプレックスを抱えてたと言う事かな
側室も出自が良い女性多いし
( 2020年11月18日 05:25 )
名無しさん | URL | -
出自がよい女以外は名前が残らないだけだよ
( 2020年11月18日 20:40 )
人間七七四年 | URL | -
※13
アンカ付けないと誰に対しての何のコメなの?
てかさ、違ったら悪いんだけど。君この前ここでトラブル起こした人じゃないの?
( 2020年11月19日 17:42 )
人間七七四年 | URL | -
※14
違うと思うけど…
仮にそうだったとして、だったら何なの。そんなことは今この場の話題と何も関係ない
( 2020年11月19日 18:18 )
人間七七四年 | URL | -
※14
スレ違いだと思ったからみんなスルーしてるんだと思うよ
もっと言うと「※14空気嫁」
( 2020年11月19日 19:41 )
名無しさん | URL | -
※14
※12から続けて読めばわかると思うけど
( 2020年11月21日 09:52 )
人間七七四年 | URL | -
どこの大名でも家譜で功績盛りまくったり
成り上がった連中は嘘の系図を作ったり
別に秀吉に限らず多かれ少なかれみんなそうでしょ
( 2020年11月29日 21:14 )
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