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『三好』と人に云い伝わっているのは

2020年11月22日 15:37

717 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/11/22(日) 14:01:02.62 ID:w52fk8aL
『三好』と人に云い伝わっているのは、三好修理太夫(長慶)の事である。
彼は細川を亡ぼして、一家繁盛した。

修理太夫は光源院殿(足利義輝)の乱(永禄の変)の以前に病死した。

彼の家中に、三人衆といって、主だった三人の家臣があった。三好日向守(長逸)という者も
その一人である。永禄八年に義輝を弑したのはこの三人衆である。

修理を、昔は人呼んで「作左」と云ったという。また三人衆とは不和であったという。

老人雑話

老人雑話成立の頃には、永禄の変の時に三好長慶は既に死んでいたというのが知られていたんですね。



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    三好長慶「まもらねばさくざがしかる」

  2. 人間七七四年 | URL | -

    長慶生前って三人衆と軋轢あったのか
    松永久秀が三人衆と不和になるのも無理からぬことだし、この時点で三好政権のその後は決まってたようなもんか

  3. 人間七七四年 | URL | -

    細川京兆家も畿内勢と四国勢とで主導権争いあったし
    その領土をほぼ継いだ三好家も同じ問題に悩まされたんだろうね
    四国勢からすれば、自分たちの利益にならない畿内での戦いに駆り出されるのは業腹だったろう
    遥かに規模の小さい初期徳川家でも三河と遠江勢での争いが有ったしね

  4. 人間七七四年 | URL | -

    しかし長慶生前に三人衆が存在したのかがそもそも疑問なんだが
    日記とかの資料上で三人衆呼称で登場するのって長慶没後のはず。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    三人衆という呼称がいつから出てきたかなんてどうでもいいことじゃん
    「長慶死後に三人衆と呼ばれた家中有力者たちは長慶と不和でした」ってことでしょ

  6. 人間七七四年 | URL | -

    ※2
    久秀の忠臣ポイントがまた上がってしまった
    ギリワン言われたのも昔の話だな

  7. 人間七七四年 | URL | -

    個人的に三好家は一族の結束が強く、その下で働く家臣達もその指揮で戦い抜いたと言うイメージ
    だったのだけど、一人また一人と三好一族が亡くなる度にボロが出てくるイメージになった
    有力者が居なくなれば誰かが大頭するのは当然ですが、三好の場合それが悪い方向へ向かった様な気がする

  8. 人間七七四年 | URL | -

    長慶のとーちゃんの非業の死あたりからもう一族の誰を信じていいかわからん状態です。

  9. 人間七七四年 | URL | -

    三好の四兄弟って仲良さそうに見えるけど同腹なのかな

  10. 人間七七四年 | URL | -

    三人衆はキリスト教の受け入れや信長への恭順で割れてるし、篠原氏も一族で争ってるし、実休の息子たちも仲良いとは言い難いし、そもそも長慶の親父は親戚に殺されて長慶はその敵討ちしてるしで三好は火種だらけの一族よなぁ

  11. 人間七七四年 | URL | -

    こういうのを見ると、松永久秀が長慶を陥れる奸臣ではなく支えていた忠臣だったという最近の説の方がしっくり来るよな。

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