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生於憂患而死於安楽

2020年11月24日 16:09

718 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/11/24(火) 13:43:05.82 ID:tVvbLjeX
藤原惺窩が浅野紀伊守(幸長)殿の所で、孟子一段を講談した。
生於憂患而死於安楽(憂患の時は生きて、安楽に成ると死す)
という段であった。

講談後、紀伊守殿は
「私は石田治部(三成)と関係が悪かった。そのため治部存生の間は、励んで人から非を入れられず、
また身も健固であった。

今、治部が死し、その上御所様とも懇ろ、佐竹、島津などとは殊の外の待遇である。
しかしこれによって気が緩み、病気が却って生じた。
賢人の語、少しも相違これなし。」

と、云われた

老人雑話



719 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/11/24(火) 14:49:40.33 ID:N1fTShw8
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4598.html
浅野幸長「賢者の言葉に相違なし」


こっちは意訳のせいか微妙に違うような

720 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/11/24(火) 17:09:25.07 ID:teRrzDH8
孟子といえば1616年に明で刻本された「五雑俎」卷四 地部二によれば

倭奴亦重儒書,信佛法,凡中國經書,皆以重價購之,獨無《孟子》,云:「有攜其書往者,舟輒覆溺。」此亦一奇事也。

孟子を船に乗せると沈むから孟子は日本にないとか
もし惺窩がなんとか中国に行けて科挙受けようとしたら
孟子も知らないくせに受験するのか?とかからかわれたかな

721 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/11/24(火) 17:40:46.57 ID:ACrPSF1Y
しっかし、なんでこんなに儒教が広まるのは遅れたんだろ?
たしか戦国時代までは僧侶の間での教養レベルでしょ?

722 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/11/24(火) 22:25:57.67 ID:SHF4mFjm
戦国時代は下剋上だしそりゃ広まんわ
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    石田三成って佐和山城主になる1595年迄は4万石の大名だよな
    若狭の国持大名だった浅野家に異見出来るほど権力有ったのかな?

  2. 人間七七四年 | URL | -

    大名としての領地の広さ云々より豊臣家の出頭人としての三成と一門重臣としての浅野の対立だと思うがな

  3. 人間七七四年 | URL | -

    若狭とか丹後とか、国持つっても六、七万石しかない、律令制でいう「小国」って領邦の格としてどうなんだろ。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    司馬遼太郎の関ヶ原で
    幸長「三成がいなくなってから世の不正をさほどに思わなくなった」
    と紹介されてるけど、同じネタかな

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