謡を忘れないように
慶長14年(1609年)4月28日、駿府城の三の丸で、家康の息子の徳川頼宣(このとき8歳)と
池田輝政の息子で家康の孫にあたる忠継(11歳)、忠雄(8歳)、輝澄(6歳)で能が行われた。
このとき、忠継は母や兄弟と共に駿府に来た後、一度江戸に上りまた駿府に下って能をし
同年5月には四品に叙せられた礼として参内しているので江戸での叙任のお祝いとしての興行だったのだろう。
(寛政重修諸家譜によると叙任したのは慶長13年としているが間違いだと思われる。)
『伊達文庫 古之御能組』によると、能組は三輪・船弁慶・皇帝を頼宣、翁、鶴亀、江口、葵上を忠継、
車僧・経政を忠雄、猩々を輝澄が務めたという。(いずれもシテ)
この催しに関する池田輝政の書状が残っている。能が武将の嗜みとして重要だったことが窺える。
【鳥取県立博物館蔵池田輝政書状】
今春(金春)と話しましたが、近頃はいよいよその通り(能稽古を)専一にしているそうですね。
常陸殿(頼宣)も能をされるそうなので、事前に能組を尋ねた後でこちらの能組を決めて
内々に(家康の)御目にかけてもよいよう、万事落ち度のないようにするのがもっともです。
(こちらが)源氏供養をするのは無用かと存じます。また、能はまちがいなく一日中でしょう。
勝五郎(忠雄)は車僧がよいですが、常陸殿がされるのならば仕方ありません。
謡を忘れないように合間合間に油断なく稽古をするのがもっともです。
卯月十九日 三左衛門(池田輝政)
おしん 参る
以上
尚々能の数なども事前にどれだけかその意を得て、おりへ、伊予に右の通り藤松(忠継)の
稽古のことを申して下さい。已上
コメント
人間七七四年 | URL | -
ngms「謡ならまかせろー」
太兵衛「やめて」
( 2020年11月26日 18:25 )
人間七七四年 | URL | -
※1
正しくは
ngms「謡ならまかせろー」
太兵衛「音痴のくせに調子に乗って唄うじゃない。何と情けない殿だ。悲しくて涙が出るわ。」
ngms「…」
かとw
( 2020年11月27日 12:56 )
人間七七四年 | URL | -
※3
栗山「もう少しこう何というか、手心というか…」
( 2020年11月27日 21:02 )
人間七七四年 | URL | -
※3
太兵衛「痛くなければ覚えませぬ」
( 2020年11月28日 11:15 )
人間七七四年 | URL | -
武士は覚えなければならない事が多くて勉学が大変そうですね?
武芸・茶や詩・芸能・礼節・政、最低でもこれくらいかな?
私なら頭パンクするわw
( 2020年11月28日 15:34 )
人間七七四年 | URL | -
※5
政というか儒学と算術やね
これらすべてに先生をつけるとなるとお月謝がえらいことになりそう
( 2020年11月28日 17:47 )
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