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『是非死に候へ』と思し召されているのに

2020年12月01日 16:58

468 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/12/01(火) 12:01:01.12 ID:YV3sJxZy
武田方に於いては、信長・家康が両旗にて長篠に後詰することを勝頼が聞き家老中を呼び、明日の軍評議が
あった。勝頼はここで、このように仰せになった
「明日は我々より押し懸けて、一戦を仕るべし。」
これに馬場美濃、内藤、山縣らは目を見合わせ、申し上げた。

「明日の御合戦については、御尤とは申し上げられません。何故ならば、敵は両旗にて殊に大軍です。
その上、我々は他国に踏み越えており、一つとして味方勝利を見つけられません。
今度、ここでおくれを取れば、弓矢の御損多く有るでしょう。ですので今回は馬を返されるべきです。
そうすれば、信長・家康の両人も馬を返すでしょうし、その上で又少しの間を置いて勢を出されれば、
信長も手前の上方の用などが有るので、度々はこちらに出陣することは出来ないでしょう。
その時は、長篠は思し召しのままに御手に入ります。」

勝頼はこれに「武田の家に、合戦を回避して、敵に後ろを見せたことはない。その上信長・家康が
大軍で我らを追撃してくれば、家の疵でも有り、また敵に勢いを付けることにも成る。」と仰せになった。
これに対して馬場は申し上げた
「我らを追撃して押し入るのならば、猶以て願うところです。彼等を信州伊那に引き入れて防戦をすれば、
地元での戦いでも有り、勝利疑い有りません。」

しかし勝頼は、全くお聞き入れにならなかった。そこで馬場、山縣、内藤が申し上げた
「そういう事でしたら、明日、長篠城を力攻めにすれば、人数千ばかりは損ずるでしょうが、即時に攻め落とす
事ができるでしょう。そして門城の掃除をし、屋形様を入れ置き、我らはその前の山に出張って防戦を仕ります。
そのようにしては如何でしょうか?」

勝頼はこれに「武田の家にて籠城を仕ったことこれ無し。今私は籠城など思いも寄らない。」と仰せになった。

そこで内藤が申し上げた
「それでしたら、長篠には押さえに二千を置き、屋形様はこの上の山に御陣城をお構えになり、先手の者共は、
あの山に備え、敵を引き受け合戦仕るべし。」

しかし勝頼は「我々から押しかけ合戦有れば、勝利すると思っている。異なことを申す。」と仰せになられた。
この時、長坂長閑斎が申した。「憚りながら、私もそのように存じます。法性院様(信玄)の時分であれば、
何れもこのような反論を申さなかったでしょう。」

これを聞いて内藤は立腹し、長坂と口論に及んだ。これに勝頼は「いやいや、口論はいらない。
旗楯無も上覧、明日の合戦は回避しない!」と仰せに成った。
そこで家老衆も、この誓言の上は料簡を申し上げること出来ず、「下々へも、明日の合戦を申し触れます」と、
その場を立った。
この時、馬場は長坂長閑斎に申した
「御異見申すが、我々は明日の合戦で討ち死に仕る。各々は、我々の討ち死にを見てから甲州に帰り、その事を
物語されるように。」

そして罷り立ち、皆々との別れ際に
「さてさて、法性院様御在世の時は、あはれ討ち死にを仕って御奉公したいと心がけていたのだが、終に
討ち死には出来ず、今まで存命してしまった。
そして、当屋形様には『是非死に候へ』と思し召されているのに、命が惜しいとは。大将の心入とは
このように有るものか。」と、からからと笑って立ち別れた。

(長篠合戰物語)

長篠の戦い前日の、武田方での軍議について



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コメント

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  2. 人間七七四年 | URL | -

    微に入り細に入り、ものすんごい死人に梔子の匂いが。物語めいていますね。そういう意味で面白い。評定が荒れたの馬場美濃たちの一端退却作戦は却下されたのは幾度も耳にしますが、この長篠合戰物語の作者は誰なんでしょうか。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    ここ迄落とせていない長篠城を力攻めで落とせると豪語しているのもね
    大体、織田軍だって馬鹿じゃ無いからその時点て後ろ巻きに来るわな
    そうしたら長篠の戦い以上の犠牲が出ておかしくない
    設楽原では一応万が一にも信長の首が取れるかも知れないが、長篠城は境目の城が一つ落とせるだけ。しかも即日、織田徳川連合軍に取り返されそう
    現代の目から見ても戦を知らないとしか思えない会話

  4. 人間七七四年 | URL | -

    この時点で長篠城は本丸・二の丸を残すのみの状態だったはず。それから一度目の総攻撃が失敗するもすでに兵糧庫が陥落(焼失説あり)して兵糧攻めの最中だった
    織田・徳川側も着陣したばかりですぐに動くとは考えにくいし度重なる攻防で守備側も損害出てるから二度目の総攻撃が成功する可能性は高かった思う(落とす価値があるかはまた別)

    老臣組は上策の撤退案が却下されたから中策として防戦案を提案したんじゃないかな
    長篠城は信濃・三河間の交通にそこそこ重要だから落とせるなら落としたいし、渡河して攻撃はさすがにリスクが高いから防戦はアリ
    鳥居強右衛門が捕まった後なら織田側の援軍が思ったより多いと判明してるわけだし

  5. 人間七七四年 | URL | -

    あくまでも個人的疑問ですが、ここで勝頼が素直に撤退を決めたとしても、これだけ大軍を擁した織田徳川なら
    その後背を突いてきたのでは?殿部隊は壊滅するかもしれない可能性はあるけど、大部分は撤退に成功
    したでしょうかね?

    長篠城落とせて籠城しても城門を含めて曲輪はボロボロだと思うのだけど?
    そもそも抵抗著しくても、この城を落とせなかった時点で武田はダメだと思う

  6. 人間七七四年 | URL | -

    ※5
    付近の地形は山林地帯で織田・徳川の大軍が展開できるようなスペースもないので防衛向き
    だから織田・徳川軍が急激な追撃をするとなると細長い縦隊になってしまい大軍の利点が失われてしまう
    合戦が起きた時は梅雨で長篠城の西を流れる寒狭川は増水していたのでこれを渡るだけでも結構な勇気がいる
    軍議の時点では鳶ヶ巣山砦も健在なので退却は比較的安全

    籠城の話も「我らはその前の山に出張って防戦を仕ります」とあるよう連吾川のある信玄台地が主防衛線
    ここは湿地かつ梅雨でぬかるみになっているので守るのに適していたはず
    長篠城はあくまで司令部の代わりとか勝頼が合戦に介入しないように留め置く措置かと

    城攻めにしても元々は徳川軍が吉田城に引きこもって決戦回避したから長篠城に標的変えたわけで無理に力攻めしてすぐに落とす必要はなかったからね

  7. 人間七七四年 | URL | -

    ただこの辺りの地形は山と谷で狭い。
    つまり本陣付近が手狭になる。下手すると桶狭間再びってこともあり得る。
    撤退はしにくかったろう。

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