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徳川秀忠の追善供養に対する違和感

2020年12月01日 19:49

467 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/11/29(日) 21:35:00.62 ID:w2E/PteA
徳川秀忠の追善供養に対する違和感


将軍・秀忠が亡くなった際、譜代衆を始め国持大名の中でも追善供養をする動きがあった。
ただ家康が亡くなった際は追善供養をしていなかったこともあり、細川忠利は父・忠興に
追善供養を申しつけられるまで指図を待つことを伝えている。【細川忠利文書 四九〇号】

以下はその後の続報を意訳して抜粋。【細川忠利文書 四九八号】

一、相國様(秀忠)の御弔に、右衛門佐(黒田忠之)・松阿波守(蜂須賀忠英)・浅但州(浅野長晟)
  なども千部経を修したことについて、森作州(森忠政)が申されたので、残らず左様に
  (申し付けられるのならば)どうするべきかと話しました。(忠政は)
  「このほかははっきりと存じませんが、私は不要と強く思っていたので申し付けられませんでした。
   三斎様(細川忠興)も(不要だと思っているので)仰せつけられないでしょう」
  とのことでした。
  
――『細川家史料

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    家康は神(権現)になったのだから、仏教形式の追善供養はしなかった、ということではないのか
    輪廻転生されたり浄土に行かれら江戸幕府の守護神たりえないしなぁ

  2. 人間七七四年 | URL | -

    単純に子の方が親より儀礼が厚礼化するのを嫌ったってだけじゃないかなあ
    次の世代の方が治世が安定するからよくあることではあるけど

  3. 人間七七四年 | URL | -

    二文字の姓を一字表記にする漢学者的な流行ってこの頃にはもうあったのか

  4. 人間七七四年 | URL | -

    ※3
    関ケ原の時点でもう島兵入(島津兵庫入道)とかさいつさま(真田伊豆守様)みたいな例がある
    漢学かぶれというより紙幅の節約とか親愛の情の表現とかじゃないのかな

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