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勘文を書き換えて、『吉也』とせよ

2020年12月11日 17:11

487 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/12/11(金) 16:03:56.52 ID:gLIIhIx6
源君(徳川家康)が秀頼卿を二条城にて饗したいとはかられた事に対し、母公である淀殿は危ぶみ怖れて、その時の
軍配者である白井龍伯が、占いに長じた者であったので、この龍伯に吉凶を見させた。

龍伯は七日間潔斎して、香を炊いてその煙気を見る事三度ながら、その三度共に『大凶』となった。
その趣を書いて片桐市正(且元)に知らせると、市正じゃ彼を私宅に呼んで、その故を聞いた。
龍伯は
「大凶であり、(二条城に)赴けば必ず害に遭うでしょう」と言った。
これに対して且元は

「私は煙気の事は解らない。ではあるが、もし秀頼公が赴かなければ、兵乱が起こるだろう。そして赴くことは
難しいことではない。これを以て見る時、勘文を書き換えて、『吉也』とせよ。」と言った。

これに龍伯は聞こうとしなかったが、且元が強いて「その咎は私が引き受ける」と言ったため、
已むを得ずして『吉也』と書き換えた。しかし「不慮の事が有れば如何せん」と憂うのを、市正は笑って
「秀頼公が害に遭い給えば、私も共に死ぬだろう。その上は、一体誰がお主に罪を問うのか。」と云った。

龍伯が淀殿・秀頼母子に勘文を奉ると、淀殿は大いに喜んで、秀頼卿を二条城に赴かせた。
そして無事に帰城されると、淀殿は龍伯を賞して、白銀百枚を給わった。またその他にもかれこれより金銀多く贈られた。
龍伯は市正の宅に行き
「今、このように多くの金銀を得たのは、貴公のおかげです。」
と拝謝した。そしてそれより気を見る術を止めて、閑居した。

或る人曰く、軍者の諸家は日取りを見る法を盛んに行うが、総じて見ると、ひと月のうち、その中の吉を取れば
悉く吉日と成り、凶を取れば悉く凶となる。しかしこれによって「元来吉凶無し」と言ってしまうと、物を破る
誤りを生ずる。また一方で「吉凶有り」と言えば事に惑う患が深い。故に、見る者をして独り悟らしむのである。

若州聞書



488 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/12/11(金) 16:43:37.14 ID:jwmD+r7O
今孔明といわれた白井の一族かと思ったら分家の方だったか
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    白井龍伯が何者なのかは判ってないんですよね。
    臼井城(紛らわしいがウスイであって白井城では無い)で寡兵で上杉謙信を破ったとされる軍師・白井胤治は、
    養子で跡継ぎの白井宗幹(真壁氏からの養子)と実子次男の胤邑と共に豊臣秀次に仕えたと言われ、
    秀次失脚の後、実子次男の胤邑は帰農。養子で跡継ぎの宗幹は秀吉に仕えた後、どういうルートか水戸の初代・徳川頼房に仕えて代々家老を勤めたとか。
    白井龍伯が白井胤治の一族だったとすると、帰農したはずの実子次男・胤邑か、小田原の陣の時に白井氏の本領・千葉多部田城で籠城した実子長男・胤隆(本多忠勝に攻められ降伏、その後不明)か、
    あるいは白井胤治本人だったのカモ知れません。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    白井浄三は三戸藩家老の白井氏の先祖(または先祖として仮託された創作の人物)として、龍伯はこの件でしか登場しないから本当に謎
    浄三にしろ龍伯にしろ描かれてるのは軍記だから信憑性はさておくとしてモデルになった人物くらいはいると思うが

  3. 人間七七四年 | URL | -

    葵徳川三代でもやってたな
    淀殿の反応は違ってたけどさ

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