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何の方便もなく一戦の上、討死に相究めたり

2020年12月21日 16:57

777 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/12/21(月) 16:07:51.96 ID:6LzXeZVW
権現様(徳川家康)が奥州に御発進(会津征伐)の跡に、五奉行たちが諸大名を相催し、権現様に
背き奉る企てが有るとの風聞が有った。

七月中旬、初めて惟新(島津義弘)の所に五奉行より、自分たちに一味するように申し越してきた。
惟新は「存じよらぬ儀であり、一味仕ることは出来ない。」と、二度にわたって返答したが、
その時奉行より

「今度のことは全く私の遺恨ではない。偏に秀頼様の為の企てである。あなたも最前、
秀頼に相背きまじきことを誓紙にし、かつ又、太閤の厚恩を忘却していないのであれば、
この度に及んで異議はありえないものである。もし同意しないのなら、あなたの今までの儀は
皆表裏に似たものである。」

このように、余儀のないことであると申しかけてきた。惟新は誓紙を黙視できないと考え、
是非無く五奉行に同意した。

この時、惟新の甥である島津中務太輔豊久は惟新に対して
「今度の合戦の勝負を考えてみましたが、権現様が御利運を得られるのは確実だと存じます。
詮無きことに与し、家を亡ぼされるのは嘆かわしい事です。その上権現様の、多年の我らに対する
御懇意は、並々ならぬものでした。早々に権現様へ御味方に参り、家を立てるべきです。」
そのようにたって諫言を申し上げた。これを惟新は承り

「其の方の申す通り、私もそう考えている。しかし余儀なく申し懸けられ、結果的に誓紙を破って
しまっては、たとえ権現様に味方申し上げたとしても、権現様は頼もしく思し召さず、
またそれ以後、島津家の誓紙誓言は偽事と考えられ、長く家の疵とも成るだろう。

私はあえて、これまでの御芳志を忘れ奉るのではない。これによって国元より人数を召し集めず、
有り合わせの人衆ばかりで出陣いたし、何の方便もなく一戦の上、討死に相究めたり。
さてまた、家の事は龍伯(義久)、忠恒が在国しており、この事についてはまったく存じては
居ないのだから、この事は重ねて御訴訟申し上げればよい。」

と、申し切られた。

島津家譜



778 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/12/21(月) 16:57:30.84 ID:YtiveTFr
弁明のための創作なのは(恐らく当時でも)明白だからなぁ

義弘君が、死人に口無しをいいことに作った自分(と島津家)に都合のいい話だな
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    鳥居に追い返されたという設定はどこから出たのだろう

  2. 人間七七四年 | URL | -

    江戸時代の軍記物かね

    上杉征伐前に義久に当てた手紙→「家康から伏見在番を命じられたので兵士を送ってね」
    三成挙兵前後の覚書→「伏見の件は断られたので大坂に行きます」
    一次資料だと誰に断られたのか主語は不明(そもそも在番が公式に命じられものなのかもわからない)

    黒田長政に送った手紙だと上の逸話のまんま「誓詞出しちゃったから云々」と釈明してる

  3. 人間七七四年 | URL | -

    >778

    弁明のための創作というよりは、『島津家譜』は島津忠久を源頼朝の御落胤としてるんだから、都合よく書かれてる書なのは間違いないな

    ただ、義弘自身は『惟新公御自記』というのを書き残してるが、『島津家譜』のようなことは全く書いてないから、自分に都合のいい話とか噴飯物だわ

    ほんと、ニワカクンはつくづく・・・ʅ(‾◡◝)ʃ

  4. 人間七七四年 | URL | -

    流通(るづう)すと
    貴人や君が物語り
    はじめて聞ける
    顔もちぞよき

  5. 人間七七四年 | URL | -

    不要な煽り

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