fc2ブログ

秀頼よりの使者

2020年12月28日 19:18

512 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/12/28(月) 17:08:37.03 ID:haa7VbwK
慶長十九年、大阪御陣の前、豊臣秀頼より高屋七兵衛と申す者が薩摩に差し下され、
島津家久(忠恒)に味方を頼むとの内容の、九月二十三日の日付の書状と、
長銘正宗の脇差を相添えて到来したが、家久はこの書札と、それに「同心仕らず」とした
返書の文案を添えて、京の板倉伊賀守勝重まで差し上げ、家康、秀忠が御出陣なさる場合は
必ず馳せ参ると、伺い申した所、その返事に

「軍勢を相催しての上洛は、状況次第で致すべきです。たとえ両御所が出馬されたとしても、
下知が有る迄罷り上がってはいけません。」

と、伊賀守は申し越して来たため、家久は軍勢を揃えた上で一報を待った。

その後、秀頼より北川勝左衛門と申す者を差し下し、書札を以て、是非に頼み入るという旨を
申し来たが、家久は
「前の返事で申し遣わした通り、同心仕らず。重ねて使札を送ってこないように。」
と申し返した所、秀頼よりまた、武井理兵衛と申す者を差し下して来たため、家久は
この理兵衛を絡め捕り、秀頼よりの書状を添えて、山口駿河守直友方まで差し上げた。

島津家譜



スポンサーサイト





コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    【悲報】遅刻王島津、ついに板倉に止められたせいにする

  2. 人間七七四年 | URL | -

    この期に及んで何度も使者を送る大坂のアンポンタンぶりと言うか藁をもすがるぶり…

  3. 人間七七四年 | URL | -

    秀頼「なんとしても島津を味方につけるのだ!」
    こうして豊臣方の必死の呼びかけが功を奏し播磨島津氏の島津義弘が大坂へ入城するのであった
    (完)

  4. 人間七七四年 | URL | -

    板倉勝重は、池田利隆(輝政の子)からも大阪方との書状を提出される話があるなあ。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    秀頼と同じかそれ以上に往生際の悪いテルのところにも使者は来たのだろうか

  6. 人間七七四年 | URL | -

    まぁ板倉も万が一にでも大名級が入城されるより、対豊臣に出兵した事実を残してくれた方が良いだろう
    必勝の戦いで変に功をあげられても面倒だし
    というか冬の陣で蜂須賀家に淡路あげた理由はガチで謎だわ。7万石も加増されるような功か?

  7. 人間七七四年 | URL | -

    蜂須賀の加増は大坂の陣の戦功以前に松平姓の下賜とセットで家康(or将軍家)から義理の婿である至鎮への一門認定プレゼントじゃないの

  8. 人間七七四年 | URL | -

    しゃららーら しゃらららーら しゃららー しゃららららー
    君はー 君こそはー 秀頼よーりのー使者ー

コメントの投稿

(コメント編集・削除に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://iiwarui.blog90.fc2.com/tb.php/12810-12f0cd76
この記事へのトラックバック