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豊臣秀長、吉川経言(広家)を気遣う

2021年01月03日 17:31

816 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/01/03(日) 11:30:14.77 ID:/Zw9/wbf
豊臣秀長、吉川経言(広家)を気遣う

吉川経言(のちの広家)の兄・元長は秀吉の九州征伐に従軍し天正15年6月5日に病没した。
このことに関連する二つの書状を抜粋して意訳。

6月4日 秀長から経言への書状 『吉川家文書 八六五号』

一、元長が病気で奉公していないとのことですが、(病気は)おろそかにするべきではありません。
  公儀のことは私が引き受けます。第一元長は若年なのですから油断なく養生するべきです。
  早々に都郡(とのこおり)に連れて行って、その方もそこへ退がり用心するべきです。
一、都郡では元長の陣屋を探すのに難渋していると疋田(秀長家臣)から聞きました。是非もないので
  どこの寺でも家でもいいので良きところに、この書面を見せ押し入って下さい。
  元長の家中まで陣取ることが大切です。

6月7日 秀長から蜂須賀家政への書状 『吉川家文書 八六七号』

書状を見ました。最近便りがなかったので嬉しいです。雨が止まないと下々は迷惑しますね。
島津中務(家久)の不慮(死去)は是非もありません。又七(豊久)に心づけをするのは尤もだと思います。
次に元長のことですが、ずっと患ってはいましたがこんなにすぐ亡くなってしまうとは思いませんでした。
元長は親父(元春)以来、関白殿(秀吉)のために奔走してくれていたのですから、私もあの蔵人(経言)に
対して少しも気を利かせないということはありません。とりわけ蔵(経言)はこのごろ細やかに
罷り越してくれるものですから、知音になったのです。その方も(経言と)入魂になって下さい。
輝元と隆景の心中は察入します。あとは(疋田)九兵衛が語ります。
____

二つ目の書状が吉川家文書にあるのは、恐らく家政が広家に渡したのだろう。



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    >(病気は)おろそかにするべきではありません。

    この人が言うと重みがあるなぁ

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