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週刊ブログ拍手ランキング【12/31~01/06】

2021年01月06日 17:11

12/31~01/06のブログ拍手ランキングです!


かるかやに 見にしむ色は なけれとも 12

「申す所、聞こえる義も少しは有り」 12

其の方の只今の退き様、殊勝である。 10
「寿徳院玄由の閲歴について」 8

雪にはおれぬ青柳の枝 7
豊臣秀長、吉川経言(広家)を気遣う 7
いよいよ御勿体なき御分別かな 7
「愛宕参りに袖を引かれた」 5



今週の一位はこちら!かるかやに 見にしむ色は なけれともです!
今川義元からの、物見の命令を半ばスルーして合戦に参加してしまった人のお話。どうもこの時代、物見であっても、合戦に遭遇すればそれに参加するのが半ば常態であったようで、似たようなお話は大坂の陣までありますね。これは義務というより、
合戦が行われているのに視察だけして帰ることは恥であるという、武士の面目に関わる問題だったようです。まあ合戦の場が
「稼ぎ場」であるという、実利的な問題も有ったかもですが。それだけに主君、大将は、スムーズな合戦の展開のために
そういう人達をコントロールすることに、非常に苦労しています。おそらくこの時代だけでなく、幕末維新の、武士の時代の
終焉までそうであったかもしれません。
このお話もそういうお話の一つですが、怒り処罰を言明していた義元が、男が気の利いた歌を詠んだことで機嫌を直し
その罪を許すのは、ベースに上で言ったような武士の慣習があり、それを軍法で禁じてはいるものの、義元もそういった
「武士の気持ち」は解るという事、つまり義元は、下々の武士たちの心も理解している大将である、という事を表しているのだと
思います。そしてそれもおそらく、名将の度量だと考えられていたのではないかと。
これも、時代によって解釈の変わる逸話だとも思いますが、同時代的にはそういう感覚で受け取られたのではないか、なんて
感じました。

今週は同表でもう一つ!「申す所、聞こえる義も少しは有り」です!
こちらは織田(神戸)信孝が博打で武器甲冑を失った武士を許すというお話ですね。また軍法の話になりますが、
そもそも一般的に軍法では、陣中における博打は禁止されているはずなんですね。それを考えると、この二宮千太郎
だけでなく、彼に博打で勝った者も、やはり罪に問われるべき、という事になります。
一方現実的問題として、そもそも陣中で博打が蔓延しているからこそ禁止が言われるわけでして、軍法でそう規定
されていても、厳格に適応すればおそらく兵士がいなくなるくらいの勢いになると考えられ、よほど目に余る事例以外は、
見て見ぬ振りをされていたと考えるべきでしょう。この逸話の事例も、、博打で負けたからと言って、合戦の前日に
死なれても信孝にとって損でしかないわけですね。であるので、「同じ損ならまだ戦ってもらったほうがマシだ」くらいの発想で
武具などを与えたのでしょう。ある種の損切りですね。それが明日、よく戦ってくれたのですから、やっぱり喜びますよねw
こういう話を見ても、武士たちの大将になると言うことは、非常に大変な事であったのだろうな、とつくづく感じてしまいます。

今週管理人が気になったお話はこちら!豊臣秀長、吉川経言(広家)を気遣うです!
毛利と秀吉との和睦の際、吉川元春は弟・小早川隆景と、秀吉に対する姿勢が異なっていたとされ、それもあってか
早々に、嫡男元長に家督を譲り、元長は良く秀吉の軍事行動に従いました。。つまり秀吉側から見ると、元長は自分たちと
吉川家の協調の象徴でもあったのですね。その急死は今後の関係についても不安事項であり、彼の跡を継いだ経家(広家)
が、一時的に秀吉のもとに人質に出されてはいたものの、必ずしも親しみの強い関係では無かった事も、その不安の
一つであったと思います。だからこそ当時の豊臣政権中枢の一人であった秀長も、おそらく意識して、吉川家の後継者である
広家との関係を築こうとしていたのでしょう。
九州征伐の時期の、豊臣政権の有りようも感じさせる、そんな内容だと思いました。



今週もたくさんの拍手を、各逸話に頂きました。いつもありがとうございます!
また気になった逸話を見つけた時は、そこの拍手ボタンを押してやってくださいね!
(/・ω・)/
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