844 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/01/15(金) 16:13:29.20 ID:STTwyufl
小西摂津守(行長)が宇土を居城にしていた時、加藤肥後守(清正)、さる仔細あって押し寄せ
攻められたことが有った。この時清正は、仕寄り場を巡見して、「今夜城より夜討ちに打ち出る事も
有るだろう。面々の持ち口用心有るべし。」と下知して本陣へ帰られた。
この時期は夜寒の頃であり、軍勢は皆具足の上に、或いは夜着を着、或いは小袖を着ていたが、
その中に、名字は忘れたが、その名は長兵衛といった兵は、具足の上に蒲団を打ちかけて居た。
城中より俄に、どよめく声が上がった。かねて予想されたことであったので、「すわ、敵こそ
出れ!」と、我も我もと騒ぎ立ち懸け出ようとするが、上に着ていた夜着や小袖が具足にまとわりついて
すぐに脱げず、もたついている間に、長兵衛は上にかけていた蒲団を投げやり、一番に馳せ出、
「もし敵が出ているなら、それがしが一番鑓である!」
と、声高に名乗った。
およそ、常に心かけていた武辺は、真実の武辺である。
そうではない武辺は、たまたまの仕合に過ぎない。
武士のことは言うに及ばず、農工商、出家沙門に至るまで、その道を嗜み、心懸有る上で
不幸になってしまうのは、力が及ばなかったという事なのだろう。
長兵衛は常に心懸けがあった故に、その時、鑓を出そうとした者は多かったが、一番鑓になったと
言うことである。
(備前老人物語)
小西摂津守(行長)が宇土を居城にしていた時、加藤肥後守(清正)、さる仔細あって押し寄せ
攻められたことが有った。この時清正は、仕寄り場を巡見して、「今夜城より夜討ちに打ち出る事も
有るだろう。面々の持ち口用心有るべし。」と下知して本陣へ帰られた。
この時期は夜寒の頃であり、軍勢は皆具足の上に、或いは夜着を着、或いは小袖を着ていたが、
その中に、名字は忘れたが、その名は長兵衛といった兵は、具足の上に蒲団を打ちかけて居た。
城中より俄に、どよめく声が上がった。かねて予想されたことであったので、「すわ、敵こそ
出れ!」と、我も我もと騒ぎ立ち懸け出ようとするが、上に着ていた夜着や小袖が具足にまとわりついて
すぐに脱げず、もたついている間に、長兵衛は上にかけていた蒲団を投げやり、一番に馳せ出、
「もし敵が出ているなら、それがしが一番鑓である!」
と、声高に名乗った。
およそ、常に心かけていた武辺は、真実の武辺である。
そうではない武辺は、たまたまの仕合に過ぎない。
武士のことは言うに及ばず、農工商、出家沙門に至るまで、その道を嗜み、心懸有る上で
不幸になってしまうのは、力が及ばなかったという事なのだろう。
長兵衛は常に心懸けがあった故に、その時、鑓を出そうとした者は多かったが、一番鑓になったと
言うことである。
(備前老人物語)
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コメント
人間七七四年 | URL | -
フートンの防寒性は絶大である
古事記にもそう書かれている
( 2021年01月15日 23:06 )
人間七七四年 | URL | -
一々脱いでもたついたって事は当時は専用の防寒着って無かったのかな?
鎧の下に厚着すると、もしかして着難いor着れない可能性があったとか?
( 2021年01月16日 01:51 )
人間七七四年 | URL | -
そこでコタツですよ
( 2021年01月16日 10:37 )
人間七七四年 | URL | -
コタツは入ったら出られないから却下
( 2021年01月16日 12:00 )
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