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第二章 奥州(Voxu)国王の来歴/その古さと高貴さ

2021年01月17日 16:16

シピオネ・アマティ・ロマーノ「伊達政宗遣欧使節記
第二章 奥州(Voxu)国王の来歴/その古さと高貴さ

当時の奥州Voxu王国は、正統かつ最も古い王である内裏Dairiから派遣された副王Vice Reたちによって統治されていた。
なかでも秀衡Findefiraは近衛殿Conoyendonoという由緒正しい公家Cungisの家系であり、他の副王たちが叛乱を起こした際、武力により鎮圧し奥州王国全体の専制君主となった。
22年後、謀反人を滅ぼし頼朝Yoritomoが皇帝に任命された。
頼朝の弟である牛若殿Vxivacandonoは秀衡により息子のように遇されていた。
死に際して秀衡は息子たちに牛若殿と仲良くするようにと遺言したが、息子たちは牛若殿を殺してしまった。
しかし頼朝により秀衡の息子たちは殺害された。
頼朝の死後、近衛殿は彼の家系に奥州の権益を保持させようと、一族である山陰中将Iamacanque Ciuscioを派遣し奥州を統治させた。
三百年後、父親の代で領土の大半を失ったため、時の領主は父親の臆病さに嫌気がさし、苗字を高貴さと勇敢さを意味する伊達Jdateに改姓した。

伊藤喜良「伊達一族の中世」によれば、当時の伊達家は
自身の家計を秀衡や近衛家と積極的に結びつけようとしていたとか



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    伊達家ってそもそも藤原朝臣を名乗ってなかった?
    それともそれを始めたのが政宗時代、ということ?

  2. 人間七七四年 | URL | -

    そういえば奥州藤原四代目の泰衡、通称に「伊達次郎」があるんですよな。
    のちの奥州伊達氏の総領が代々名乗った「次郎」も、次男が跡継ぐのが続いただけでなく、奥州藤原氏の後継者というのを意識していた可能性もあると思う。

    ※1
    伊達氏の祖の常陸入道念西が「藤時長(藤原時長)」という名前でも『吾妻鏡』に出てくるので、初代からずっと藤原だったと思われ。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    最初はイダテだったのがいつからダテになったのだろうか

  4. 人間七七四年 | URL | -

    藤姓言うてもピンキリやし摂家と結びつけたかったと言うことやないのかな

  5. 人間七七四年 | URL | -

    山陰中将Iamacanque Ciuscioが分からない
    頼朝の死後に派遣なんて話あったかしら
    摂関将軍の事だったり?でも九条よね

  6. 人間七七四年 | URL | -

    藤原山蔭の事だと思われます。右近衛権中将になってますし。

  7. 人間七七四年 | URL | -

    ※5
    「分からない」という前に自分で調べる努力を全然してないだろ
    wikiで「伊達氏」の項を読んでから出直してこい

  8. 人間七七四年 | URL | -

    ※5、※7
    この質問はありとおもう。wikipediaだって万能でない。
    当時の欧州文書のローマ字に疑問をもってもおかしくない。
    「wikiを読んでから出直してこい」は初心者排除としては厳しすぎると思う。

  9. 人間七七四年 | URL | -

    ※2
    そう言えば(●∀・)の通称は藤次郎ですが、藤原の次郎て意味なんでしょうかね?
    因みに泰衡は父秀衡も次男で自分も次男なので小次郎て通称も有ったとか。
    伊達小次郎て(●∀・)の弟もそうだったですよね。何で家督問題で揉めそうな通称つけたんだろう?

  10. 人間七七四年 | URL | -

    藤原山蔭は平安前期の人なのか
    ってことはその子孫か、子孫を仮冒した人が祖先である山陰の名乗りを有していたのかな
    単純に伝言ゲームの途中で混同されただけなのかもしれんが

  11. ※7 | URL | -

    ※8
    またまた、摂関将軍を知っていて初心者はないでしょーw
    とはいえ確かに言いすぎました。申し訳ない。

  12. 人間七七四年 | URL | -

    ※9
    まさに藤原次郎なんですが、さらによく調べたら実際に通称として使ってたのは「次郎」で、「藤次郎」は後世の勘違いだったらしいとか。

    ※10
    古い伊達氏系図だと、藤原山蔭(なぜか中世には山蔭が苗字と勘違いされて「山蔭中納言政朝」と呼ばれていた)と伊達氏初代の間がすっ飛ばされて、初代朝宗(宗村?)が山蔭の息子のように書かれてるのがあるんですよな。
    とりあえず、伊達氏には「遠い先祖は山蔭」という言い伝えはあったらしい。

  13. 人間七七四年 | URL | -

    *12
    大河ドラマでも「山蔭の流れをくむ」ってセリフがありましたね。

  14. 人間七七四年 | URL | -

    ※9
    伊達氏で次男が相続することが連続した時期があって「予め長男にも次郎ってつけとけば縁起がいいんでね(長男でも死なないでいける)?」ってことで長男でも「〇次郎」になったらしい

  15. 人間七七四年 | URL | -

    俘囚の長を擬するのは蝦夷の流れを汲んだ民草を支配するのに都合が良い
    安倍氏や藤原氏や清原氏もやった手口

    そして鎌倉府、関東管領&越後守護両上杉氏に対抗するため足利将軍家はじめ中央と繋がりを求めるのも当然の流れ
    越後じゃ木っ端国人としか見られてなかった伊達氏が、紀氏から嫁を得て三つ引両を得て陸奥国守護職を得て左京大夫を分捕り二羽飛雀紋を攫い、野望が萎んでもなお京都扶持衆に属する
    こうした中世伊達氏の成り上がりロードは政宗が越後路から南下して小田原参陣するところで道半ばに完結する

    伊達五代記くらいで大河の脚本書いてもいいレベルのカタルシス

  16. 人間七七四年 | URL | -

    擬しているかどうかは確定ではないだろ

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