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豊島の洲崎に町を建てん

2021年01月27日 17:31

879 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/01/27(水) 12:22:36.02 ID:K+heH9n3
かつて当君(徳川家康)が武州豊島郡江戸に御打ち入られてよりこの方、町は繁盛したが、
地形が広くなく、これによって、豊島の洲崎に町を建てんとの仰せがあり、慶長八卯の年、
日本六十余州の人夫を寄せ集め、神田山を引き崩し、南方の海を、四方三十余町埋めさせ、
陸地となし、その上に在家を立てられた。

昔、平相国清盛公は、津の国兵庫の浦に新京を建てんと、七ヶ国の人夫を集め、島を築かれたが、
崩れて島成就し難く、その後、石面に一切経を書写し、その石にて築いた所、誠に竜神が
納受されたのか、島は成就し、これによって経ヶ島と名付けた。そしてその島の上に
三町ほどの在家を建て、末代まで名を残した。
しかしこれを、今の豊島と比べれば、わずか十分の一に及ぶ程度である。

この新たな町はその外まで家が居続き、広大なること、南は品川、西は田安の原、
北は神田の原、東は浅草まで、町が続いている。
豊島の名の通り、民が豊かに栄えること、震旦(中国)の都は家居百万間というが、中々これと
比べるには足りない。

天地開闢より慶長までの世を考えるに、この(現代の)御代には及ばない。
上一人の御恵み深ければ、下万民、みな栄華に誇る。
「君が代は 千代に一度ゐる塵の 白雲懸る山となるまで」
(君の世が、千代に一度落ちる塵が積り、白雲のかかる山と成るまで)
久しかれぞと、人々は祝い侍った。

慶長見聞集



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