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【雑談】関ヶ原の勝ち組一族でも庶流の帰農ってあるんだな

2021年01月27日 17:32

875 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/01/26(火) 21:44:33.12 ID:ne2Ef1aK
関ヶ原の勝ち組一族でも庶流の帰農(地主に転向)ってあるんだな。浅野長政の庶流が富山県に帰農して子孫は富山の大地主一族になってるみたいだ。大身の大名なら一門全員ついて行くもんだと思ってたからびっくり。
ttp://kinseikagatoyama.seesaa.net/article/364358356.html

876 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/01/27(水) 01:18:41.30 ID:0bE8aSIW
>浅野長政の一族浅野長祐の裔長助
長祐って誰よ? ってレベルの一族だしその子孫となるとほぼ無関係じゃない

877 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/01/27(水) 01:47:31.74 ID:uzchNKUH
>>876
Wikipediaに書かれてない長政の先代の庶流くなんだろうけど、武将の帰農パターンて一族崩壊以外でもあるんだなと。ちなみに肥田氏とも男系の縁戚。

878 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/01/27(水) 11:27:46.82 ID:UV9ON2bf
前田に仕えていたけれど帰農したとかじゃないのかな

江戸末期に浦賀、京都・江戸の町奉行を務めた同名(wikiだと長祚)の幕臣がいるね
赤穂の支流だそうだけど、家禄3500石ってことは本家赤穂の長重流(500石)より上か

880 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/01/27(水) 12:24:47.39 ID:B+fDInqk
俺の苗字は織田だけど信長とは何の関係ないよ
系図買って背乗りした連中でしょ

881 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/01/27(水) 12:38:52.14 ID:XXqCJ3Xd
>>880
江戸時代以前の苗字持ちの大地主や商人は戦国時代に敗れた武将の生き残りや大名家の庶流が多いよ
昔はその辺明確に分けてたようだから手掛かりになる、正直ポッと出の下級武士の方がわけわからん出自が多い

882 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/01/27(水) 13:56:59.50 ID:pKTdIqgZ
>>881
丁度いいことに、大阪の陣とかで各家こっそり両陣営に兄弟で付かせてるとかあるあるだったもんねぇ…
それで負けた側は表向き切腹でこっそりコネ辿って匿って貰ったなどという言い伝えもあるあるなわけで…
うちの母方もそんなんで士族だけどちと怪しい

…はずなんだけどな…なんか似てるかも、という話が子孫にも結構あったりするのがまたいとをかし

883 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/01/27(水) 14:22:23.05 ID:RRZ7N1Jm
陣営わかれるのは普通に家中対立の結果ってのが多いんじゃない?
こっそり入れてるてのは佐野道可くらいでは

884 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/01/27(水) 14:40:00.40 ID:Lq8wV5VS
その佐野道可も1589年に毛利家から追放されてて本当に無関係だった説あるでしょ

885 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/01/27(水) 15:12:34.66 ID:XXqCJ3Xd
>>882
もっと賢い所は自陣とは別に水面下で一方の大将クラスに子供産ませて家を潰させない保険掛けてるとこ

886 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/01/27(水) 20:38:57.73 ID:E0q2cVc2
>>868の堀秀政の次男も浅野長政の娘婿
秀吉の小姓だったけど長政の仲介で徳川に仕えてる

887 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/01/28(木) 01:02:41.68 ID:opTrY6+x
>>878
wiki読む限り長祚は該当してないようだ、赤穂系では無いっぽい。時系列の推定的には関ヶ原以前の長政の兄弟かその前の世代絡みの親類、一向一揆を一掃させた後~関ヶ原直後に帰農したと考えるのが自然かなと。
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    あいまいな記憶なので以下、話半分に読んでもらいたい。というのは下で堀尾氏と書いているのが別の家の可能性もあるので。

    武士の帰農とは少し違うけど、松江の堀尾氏(多分)は娘を豪農か豪商、とにかく長者に嫁がせていた。
    WIKIからは見付けられなかったが、松江の資料館で見た記憶があるから松江の人なら知ってるんじゃなかろうか。堀尾氏のご子孫と一緒に、その長者のご子孫も、とある行事(地元で代々続けられている何らかの法要?記念式典?のようなものだった)に出席されているとか。
    なお堀尾氏は娘を嫁がせたことを後に後悔したという情報も読んだ。戦国時代の延長のような統治の初めの頃は、長者に娘を嫁がせる価値が充分にあったということ。江戸が定まってからは孫達が有力武家でない境涯なのを失敗と捉えたという価値観の変遷が伺え、興味深いと思った。

    松江でも堀尾氏でもなかった気もする。申し訳ない。三家の有力子孫の内、一家が武家ではない家で、地元では別格の家柄とされたと記されていたのは確か。

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