913 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/02/04(木) 14:30:23.87 ID:ETpTvNyE
中西彌五作と古田彌惣は並びなき友であったが、賤ヶ岳の戦いの時、戦いあい、彌五作は鑓にて
彌三を突き伏せ、兜を引き明け、既に首を取ろうとしたが、よく見ればそれは彌惣であった。
何という事かと思い、押しくつろげて、「汝は古田彌惣だな!」と言うと、彌惣は下から
「そう言うのは中西彌五作だな!かかる時に臨んで、言われざる名乗りである!早く首を取れ!」
と言った。しかし彌五作は
「どうしてそんな事ができるものか。」と、取って引き起こし、彌惣の鎧の塵を打ち払って
「不思議なこともあるものだ。」と笑って立ち別れたという。
彌五作は秀吉公の御方、彌惣は柴田殿の方であった。
その後、大和中納言殿(豊臣秀長)に仕え、終には古田兵部少輔殿(重勝)の家老となった吉田惣左衛門
という人こそ、かの彌惣の事である。
(備前老人物語)
中西彌五作と古田彌惣は並びなき友であったが、賤ヶ岳の戦いの時、戦いあい、彌五作は鑓にて
彌三を突き伏せ、兜を引き明け、既に首を取ろうとしたが、よく見ればそれは彌惣であった。
何という事かと思い、押しくつろげて、「汝は古田彌惣だな!」と言うと、彌惣は下から
「そう言うのは中西彌五作だな!かかる時に臨んで、言われざる名乗りである!早く首を取れ!」
と言った。しかし彌五作は
「どうしてそんな事ができるものか。」と、取って引き起こし、彌惣の鎧の塵を打ち払って
「不思議なこともあるものだ。」と笑って立ち別れたという。
彌五作は秀吉公の御方、彌惣は柴田殿の方であった。
その後、大和中納言殿(豊臣秀長)に仕え、終には古田兵部少輔殿(重勝)の家老となった吉田惣左衛門
という人こそ、かの彌惣の事である。
(備前老人物語)
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コメント
人間七七四年 | URL | -
気になって調べてみたら、中西さんのほうは清々しい快男児っぷりなのにこれ以降一切記録に残ってないのね…
明暗の別れ方って残酷だ。
( 2021年02月04日 22:34 )
人間七七四年 | URL | -
※1
ほう、そうか。
中西彌五作の彌五作が別の名で出て来る可能性に掛けたい。
( 2021年02月04日 23:56 )
人間七七四年 | URL | -
中西はどうやら秀吉の黄母衣衆のようだが
秀吉が大坂城を築いた後の黄母衣衆からはいなくなっている
戦死したのか他の武将(親族)へと付けられたのか、年齢も分からないし寿命だったのか
こういう武将が関ヶ原後も他家で命脈保っていたらなんか嬉しいんだけどなぁ
( 2021年02月05日 17:54 )
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