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このような大船を作り海に浮かべる事

2021年02月05日 18:12

916 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/02/05(金) 15:56:54.37 ID:sorY1wLB
慶長年中、徳川家康公は唐船(唐船とあるが、家康がウィリアム・アダムスに作らせた西洋式帆船の事と
考えられる)を作らしめ給い、浅草川の入り江に繋がれた。
このような大船を作り海に浮かべる事、渚からでは人力も及び難いだろう。一体どのような手立てがあって
浮かべたのか、私の分別に及ばない。

先年、江戸の御城の石垣を築かれるため、伊豆国にて大石を舟に積むところを見た。
そこでは、海中に石にて島を築き。水底の深い岸に船を付け、陸と舟との間に柱をうち渡し、
舟を動かす平地のような道を作り、石を台に乗せて、舟の中に巻き車を仕付けて、台につなげた
綱を引き、また陸からは梃子棒を持って石を押し遣り船に乗せる。
船中の巻き車の工夫は大変奇特である。

古歌に「わが恋は、千引きの石の泣く計り」と詠まれているが、千人で引くほどの石を千引きの石と言った。
今の時代には、大名衆が西国の大石を船に積み、江戸へ持ち来て、千人引きはさておき、
三千人、五千人引きの石を、幾千とも数しれぬほど引かれる事、実に夥しいものである。

さてまた、唐船を海中に出すことについて、海に綱や引き車を立てることも難しい。
陸で梃子棒を使っても及び難い。

されば昔、源実朝の時代に、鎌倉の由比ヶ浜において唐船を作られた。これに仔細有り(以下源実朝の
唐船作りの経緯と進水の失敗が延々と書かれているが中略)

先年作られた浅草川の唐船は、伊豆国伊東という浜辺の在所に川があり、これこそ唐船を作るべき
地形であるとして、その浜の砂の上に、柱を敷き台として、その上に舟の敷を起き、半作りの頃より
砂を掘り上げて、敷台の柱を少しづつ下げ、堀の中に舟を置き、この船を海中に浮かべる、という時に
至ると、河尻を堰き止め、その河水を船のある堀に流し入れ、水の力を以て海中へと押し出したのである。

こういった工夫を、昔の鎌倉の人は知らなかったのだろう。

慶長見聞集



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