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徳川家康、使番の勤め・悪い話

2009年02月11日 00:05

775 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/10(火) 17:29:56 ID:esH+wXpP
大阪冬の陣は始まったばかりの、慶長十九年(1614)11月18日の夕刻、
徳川家康が念仏を唱えていると、御使番の初鹿野信昌が駆け込んできた。
そう

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-634.html
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-573.html

この辺の仕込み芸で人気の甲州武士、初鹿野伝衛門の息子さんである。

彼は家康にこう報告した
「今突然、城から後藤又兵衛が大軍を率いて討って出てきました!
どうかお味方に、軍勢に備えるように言ってください!」

それを聞いた家康は、うんざりしたように言った

「今大阪城にいる兵が残らず討って出ても7万ほどだ。
実際には城の防衛のため、大半は城に残る。何が大軍なものか。

大軍などと言う言葉は、軽々に使うものではない。そう言う言葉は味方に無用の恐怖心を
与えるだけだ。

お前の父は甲州で使番を勤めていたな。その父から色々と、大切な事を教わったのだろう。
だがな、甲州では1万以上の軍を大軍と呼んだそうだが、今は日本中の兵を集めた
戦争をしているのだ。戦争の規模の大小により、大軍の定義も、相対的に変わってくる。

使番と言う仕事は、情報を伝える役目だ。
その一言一句が、味方を勇敢にも、臆病にもしてしまう。
言葉はきちんと吟味してから使わないと、今後いろんな所で失敗をするぞ。
この事、良く考ろ。」


実戦経験者の少なくなる中、こんな事まで教えてやらなければならない、大御所様なのであった。




809 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/11(水) 04:02:18 ID:Ww6J/iIJ
>>775

そして夏の陣で真田信繁に三度も本陣を突かれ
馬印を倒されてしまう家康であった

812 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/11(水) 09:16:27 ID:YZ9a97kB
>>809
あれは危なくなったらとっとと逃げる家康
奮起して撃退する秀忠
この辺がまさに実戦経験の差

813 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/11(水) 09:39:31 ID:i2ZrLl9v
幕府軍の側から言えば乾坤一擲でもなんでもない戦いで、決死隊の突入に
わざわざ付き合って戦う必要は無いからね。
逃げて大丈夫な所で逃げるのは、名将の条件ですよ。

それに実際に家康本陣に突入したのは毛利勝永隊じゃなかったっけ?

814 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/11(水) 10:25:46 ID:16GBUpps
そのへんの華々しい場面を全部真田の活躍ということにされて世間一般ではマイナー武将扱いな毛利勝永
まさに悪い話

816 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/11(水) 13:02:04 ID:Zb/J+do3
>>813,814
ただ小規模な部隊で構成された前線があっさりと崩され、
あまりに凄い勢いで毛利たちが突っ込んできたから、
若い兵士の多くなっていた家康旗本は、実際泡食って
潰走し始めたのだとと思う。
あと、慌てた左翼後方の浅野隊が右にフォローしょうと動いたのも
家康本隊の混乱に輪をかけた。

誰いなくなった空間に、気がつけば毛利隊は孤立していた・・・
大阪城への引き際も毛利勝永の指揮は水際立っていたと
巷間伝えられてますが。

817 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/11(水) 13:31:57 ID:mX/H0/e7
最初は並んで突撃したが、
本多忠朝らの恩賞首を取るために速度が鈍ったがゆえに撤退できた毛利
末将の首など目もくれず本陣めがけて突進したが
老練な家康の采配のために力尽き包囲殲滅された真田隊
だから真田ばかり賞賛されたと解釈してる本もあったな

818 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/11(水) 14:09:25 ID:YZ9a97kB
当時の大坂勢は特攻隊みたいなもんですから

820 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/11(水) 16:06:35 ID:1RRZK7UK
大野治房の事もたまには思い出して下さいね。

836 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/11(水) 22:14:43 ID:Ek/IxoRx
>>816
そうだな。本陣が逃走した場合ふつうその軍は敗北濃厚となる
周囲に連鎖して壊走状態になってもおかしくない
前田、藤堂といった右翼が健在だったのと、3倍の兵力差だったのが幸いしたんだろう

837 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/11(水) 22:22:02 ID:YZ9a97kB
>>836
後退はしたが、四分五裂ではなかったんでしょう
家康の切腹云々はほれ、あの人ピンチだとすぐそういう人だし

桶狭間後の大樹寺で住職に止められ
三方ヶ原で夏目に止められ
本能寺で本多に止められ

あんたは、江戸中期の浪人か
(仕官してくれなきゃ切腹するといって、多少の路銀をせしめる奴が
多かったが、ある時「是非やってくれ、したら仕官させる」と言われ
窮して、本当に切腹して死んで以降、パッタリなくなったとか)

839 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/11(水) 23:00:45 ID:K8EyDbuM
>>837
その辺は今川義元の最期を知ってるから、
首級獲られるくらいなら自刃してやる、って思考かな?
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    管理人様いつも楽しませていただいてます。
    初鹿野伝右衛門の逸話は、これを合わせて#573、#597、#606、#898、の5つになったので、そろそろ「初鹿野伝右衛門」のカテゴリで独立させてやって頂けないでしょうか?

  2. まとめ管理人 | URL | -

    Re: タイトルなし

    ご指摘ありがとうございます。
    ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-category-247.html
    まとめさせていただきました~。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    大坂の時の使番は子じゃなくて本人じゃね

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