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週刊ブログ拍手ランキング【02/18~/24】

2021年02月24日 16:43

02/18~/24のブログ拍手ランキングです!


渡辺水庵翁は火燵が嫌いであったが 11

とりわけ『べい』『べら』と云うこそおかしけれ 9
人の善悪はこういう時に分明に 9

道恵の茶湯には 6
先ず、茶湯の置合違たり! 6
「豆相記」の小田原城攻めの場面 6
北条五代の軍記物「豆相記」冒頭 6
あの鉄砲は狭間くばりといって 5



今週の1位はこちら!渡辺水庵翁は火燵が嫌いであったがです!
老年期の渡辺勘兵衛のお話ですねー。この頃から、掘り炬燵、置炬燵の違いが有ったことが見て取れます。
そしてここで、勘兵衛は炬燵が嫌いだった、とあり、コメントにも伊達政宗が炬燵をわざわざ台無しにするような当たり方の
事例がありますが、どうも室町から戦国期にかけての武士というものは、「寒がる」という事を非常に蔑んでいたフシがあります。
当時は足袋も「防寒具」と考えられていて室町将軍に仕える武士の心得には、足袋は年寄りの履くものであり、
どんなに寒くても一般的には履くべきではない、とされていたりします。頭部を温める頭巾などは以ての外で、
寒さというものに対しては、耐えて当然、という意識が有ったらしいのですね。
実にスパルタ的といいますか、ある意味野蛮といいますかw
ともかく、炬燵などであたたまるというのは、その人物の「老い」を自他共に表すような行為であったのでしょう。
こう言った意識を、比較的温暖な西日本だけでなく、冬場の寒冷な東北の伊達政宗まで共有していた、という事は
また面白いですね。そんな事を思った内容でした。

2位はこちら!とりわけ『べい』『べら』と云うこそおかしけれです!
こちらは京から見た東国の訛りについての批判と、それに対する反論のお話ですね。この手のお話は、平安期ころから
存在する、ある意味パターン化された内容ではあるのですが、江戸初期にもなると、むしろ江戸の住人から「あの京の
人間はなんにも知らないな」というような、ある種の同情(?)が表明されているのが面白いですね。それだけ江戸の
人々の方に、江戸、東国に対する自信が定着していたとも言えるのでしょう。
そういえば、江戸の武士言葉というのは、実は関西弁がベースである、という説があります。江戸城の言葉はそもそも、
豊臣秀吉の時代に聚楽、あるいは大阪、伏見で「共通語」として話されたものがベースで、それは勿論、主に京言葉を
基本としており、その言葉を話していた人々が関ヶ原後、こぞって江戸に移住したことで、話し言葉もそのまま
使用された、という説です。書き文字にした場合、江戸言葉も京大阪の言葉もほとんど違いがない、という所から
考察されたものですね。江戸の武士言葉は現代の共通語に繋がるものですので、それが、関東の発音の影響を受けた
関西の話し言葉であったと考えると、なるほど共通語にふさわしい、という気持ちにもなります。
方言、訛りは自身のアイデンティティにも直接つながるものでもあり、昔からそういうことを、人々は気にしていたのだ、
というものも含めて、面白いお話だと思いました。

今週は同票でもう一つ!人の善悪はこういう時に分明にです!
京の火災の時における八条宮智仁親王の逸話ですね。この火事がいつ頃のものかははっきりしませんが、
八条宮の理知的かつ果敢な人格がよく伝わってきます。この八条宮智仁親王は、関ヶ原の時、田辺城の戦いを
止めさせ細川幽斎より古今伝授を受けた人物の一人、としても有名ですね。また豊臣秀吉の猶子であり、豊臣家と
皇室との関係の中心人物でも有りました。文化的にも政治的にも、当時の重要人物の一人ですね。
そしてこの話を語っているのが、織田信雄と言うところも非常に興味深いですね。信雄は内大臣という高い官位を
有していた人物でも有り、当時の朝廷内の事にも詳しかったのだろうと、察せられます。
まあ焼く焼かないという話で、自身も逸話を持っている事がここではツッコミどころに成っていますがw
それも含めて非常に印象的なお話にも成っていると思います。
いろいろな意味で面白い逸話だと思いました。



今週もたくさんの拍手をいただき、本当にありがとうございます。
また気になった逸話がありましたら、そこの拍手ボタンを押してやってくださいね!
(/・ω・)/
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