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関ヶ原後の片桐兄弟と家康

2021年03月10日 18:41

621 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/03/10(水) 15:49:22.20 ID:QP7IHgBS
関ヶ原の時分、大阪城内では片桐市正(且元)・主膳(貞隆)を討ち果たそうとする企みがあったが、
両人はそれを覚悟し用心していたために、その身、恙無かった。

関ヶ原合戦の結果が知らされると、大阪より飛脚を以て大御所様(徳川家康)に市正・主膳は言上した
「関ヶ原、御利運という事で、早速大阪へ、御馬を入れて下さい。我ら兄弟が太閤様の御遺言を守って
大阪に罷り在った以上、御親様(淀殿)は違乱について関係ありません。」

その旨を申し上げると、大御所様は前々より相違なく、心中もご満足され、関ヶ原より直に大阪へ
向かわれた。尼崎の又右衛門家は古よりの御宿であったので、先ずそこに御着座され、市正・主膳も
お迎えに罷り出た。

権現様(家康)の御意に
「この家は町中であり、如何かと思う。主膳正は太閤様の仰せ渡しにより、内々の取次をもしている者で
あるので、兄弟とは申しながら、主膳にはよしみがある。狭くても苦からず、主膳の所を宿としよう。」
との事で、そのままそのようになった。この時、杉浦内蔵允なども御供であり、彼のことはよく
覚えていたので物語をした。この事は証拠として正しくあったことなので、書き付けておく。

翌日、秀頼公へご対面遊ばされ、直ぐに西の丸に大御所様が御座なされた。その時、片桐兄弟は
申し上げた
「太閤様に成りかわられて、御親様の事でございますが、御朱印を出される事然るべしと考えます。」
との旨を申し上げると、「尤もである」との御意で、即ち秀頼公の細工人である右京と申す者に申し付け、
主膳の所で御朱印を掘らせた。

大御所様が江戸に還御の時分に仰せ付けられ、大阪城中門々の番について、大御所様のお指図を以て
片桐兄弟の者達により所々を相堅めた。これは大阪一乱の砌まで、市正・主膳が大阪に在った内は、
その通りに相違なく勤められた。

片桐家秘記

関ヶ原後の片桐兄弟と家康について



622 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/03/11(木) 01:18:26.28 ID:by81p93d
> 「太閤様に成りかわられて、御親様の事でございますが、御朱印を出される事然るべしと考えます。」

これってどういう意味?
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    こいついつもお命狙われてんな

  2. 人間七七四年 | URL | -

    関ヶ原の時点で狙われてたのは初耳

  3. 人間七七四年 | URL | -

    関ヶ原で西軍に与したのに所領安堵どころか加増受けたりしてるし、豊家家臣団の中で鼻に付いたのかね?

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