970 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/03/11(木) 16:01:20.86 ID:xcRRgiiX
八幡大菩薩に御祈念あるべき事
その御祈念あるべき事とは、賤しくも自身が征夷将軍の職を蒙り、公のお固めとして、日本国中
六十六ヶ国を治めるべき仰せを受け給わった事は、前世の宿縁とは言いながら、父母二親の御恩であります。
但し、天下を治め素直なる世に戻すという事は、その職にあっても非常に困難であり、願わくば
八幡大菩薩の御はからいとして威勢を加えさせ給え。
このように威勢のことを祈念するのは、全く我が身が思うままに振る舞うためではありません。
この十余年、公家、武家を始めとして、僧俗男女に至るまで、(応仁・文明の乱により)一所懸命の地を
人に奪われ、憂悲苦悩を見てきて、余りに不憫に思われる故に、威勢さえ有れば道を道の通りに
行えると思うによって、偏に御神の冥慮を仰ぐものものなのです。
諸国の守護たる人の心向きのありようも、いかにも穏便に成して慈悲の心を付け給え。本当に本当に
思い直ることが無いのであれば、忽ちに冥罰を与え給うように。
再び素直なる世に立ち返ったならば、今生の願い満足して、後世までも名将軍と呼ばれる事、
人間の思い出として、これに過ぎることがあるでしょうか。
并びに大菩薩の御はからいにあるべしと、毎日、朝にしっかりと御手を洗い、御口をゆすぎ、
南方に向かわれて、至誠の心で御祈念あるべきです。神明が世に在られる者ならば、どうして
受納されないでしょうか。
この御心中の趣きを、世に隠れなくしておけば、これを伝え承った者は、一度は神慮に恐れをなし、
一度は武威を辱むるを思い、諸守護の心向きも自ずから良く直して、文明一統の天下に成るべき事、
掌をさす如くになるでしょう。
『文明一統記』
一条兼良が足利義尚、日野富子の求めに応じて政治上の戒めを著した『文明一統記』より、
八幡大菩薩への祈念について
971 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/03/11(木) 21:57:03.59 ID:FR0ccmK2
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-11209.html
同じく一条兼良が義尚と日野富子のために書いた「樵談治要」「小夜のめさめ」についての女人礼賛についての箇所が前に出ていたけど
「神功皇后は八幡大菩薩の御母で…」
と書いてることを考えると、八幡信仰は武家の棟梁として当然とは言え
日野富子と義尚の母子を神功皇后と八幡大菩薩の母子に例えて間接的にヨイショしているような気も
八幡大菩薩に御祈念あるべき事
その御祈念あるべき事とは、賤しくも自身が征夷将軍の職を蒙り、公のお固めとして、日本国中
六十六ヶ国を治めるべき仰せを受け給わった事は、前世の宿縁とは言いながら、父母二親の御恩であります。
但し、天下を治め素直なる世に戻すという事は、その職にあっても非常に困難であり、願わくば
八幡大菩薩の御はからいとして威勢を加えさせ給え。
このように威勢のことを祈念するのは、全く我が身が思うままに振る舞うためではありません。
この十余年、公家、武家を始めとして、僧俗男女に至るまで、(応仁・文明の乱により)一所懸命の地を
人に奪われ、憂悲苦悩を見てきて、余りに不憫に思われる故に、威勢さえ有れば道を道の通りに
行えると思うによって、偏に御神の冥慮を仰ぐものものなのです。
諸国の守護たる人の心向きのありようも、いかにも穏便に成して慈悲の心を付け給え。本当に本当に
思い直ることが無いのであれば、忽ちに冥罰を与え給うように。
再び素直なる世に立ち返ったならば、今生の願い満足して、後世までも名将軍と呼ばれる事、
人間の思い出として、これに過ぎることがあるでしょうか。
并びに大菩薩の御はからいにあるべしと、毎日、朝にしっかりと御手を洗い、御口をゆすぎ、
南方に向かわれて、至誠の心で御祈念あるべきです。神明が世に在られる者ならば、どうして
受納されないでしょうか。
この御心中の趣きを、世に隠れなくしておけば、これを伝え承った者は、一度は神慮に恐れをなし、
一度は武威を辱むるを思い、諸守護の心向きも自ずから良く直して、文明一統の天下に成るべき事、
掌をさす如くになるでしょう。
『文明一統記』
一条兼良が足利義尚、日野富子の求めに応じて政治上の戒めを著した『文明一統記』より、
八幡大菩薩への祈念について
971 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/03/11(木) 21:57:03.59 ID:FR0ccmK2
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-11209.html
同じく一条兼良が義尚と日野富子のために書いた「樵談治要」「小夜のめさめ」についての女人礼賛についての箇所が前に出ていたけど
「神功皇后は八幡大菩薩の御母で…」
と書いてることを考えると、八幡信仰は武家の棟梁として当然とは言え
日野富子と義尚の母子を神功皇后と八幡大菩薩の母子に例えて間接的にヨイショしているような気も
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