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茶阿局は筋目定かならず

2021年03月16日 18:51

茶阿局   
630 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/03/16(火) 16:35:55.93 ID:hXgy7t7u
徳川家康の側室である)茶阿局は筋目定かならず。
ある説に、遠江国金谷村という所の、賤しき者の妻であったという(八と呼ばれていたという)

この所の代官某が、茶阿局が見目よき女性であったので心に懸けて、我が者にせんと思い、
彼女の夫に非法をかぶせて殺し、茶阿を奪い取ろうとした。

しかし茶阿はこれに従わず、三つになる娘を抱いて密かに逃れ出て、浜松の城に走り入り、
御前に参って訴え嘆くと、やがて代官が召され糾明され、罪科が行われた。
そして茶阿は身内に召し置かれ、使わせ給わったという、

彼女は(家康の)第六の御子辰千代殿、第七の御子松千代殿をお産みになった。しかし松千代殿は
夭折された(一説には双子であったという)。

辰千代殿は成長され、上総介忠輝卿と申された。四位の少将にて越後国高田を賜った(七十五万石、
或いは五十五万石という)。

これより先、花井庄九郎という者が介殿の御心にかない、出頭して後には御家老の数に入れられ、
受領して遠江守となった。彼は茶阿局の娘を娶され、権勢肩を並べる者も無かった。
その子である主水正義雄も近くで仕えた。しかし元和元年、介殿が罪を被られた時、主水も
誅せられた。
その子で左京亮義虎と言う者は、介殿の御娘と結婚し、配所までも従って仕えたという。

茶阿局は東照宮(徳川家康)が隠れ給いし後、朝覚院殿と云った。
元和七年六月十二日に亡くなられた。小石川吉永の宗慶寺に葬られた。また伝通院にも印が立てられた。

以貴小伝

茶阿局について

※本スレで訂正があったので直しました


631 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/03/16(火) 16:48:12.32 ID:QbGWLllc
茶阿なのか阿茶なのか

632 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/03/16(火) 17:06:30.67 ID:IaycZrii
隆慶一郎で知った
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    茶阿…かな?

  2. 人間七七四年 | URL | -

    権現さま「よし分かった。床を敷け」

  3. 人間七七四年 | URL | -

    峰隆一郎と隆慶一郎って似てるよね


    名前は

  4. 人間七七四年 | URL | -

    (ノ∀`)チャアー

  5. 人間七七四年 | URL | -

    へうげものでのシーンは覚えているけど、あれが阿茶局だったとは知らなかった。
    美醜が人生を左右するって事もあるんだなぁ。

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