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週刊ブログ拍手ランキング【03/18~/24】

2021年03月24日 15:46

03/18~/24のブログ拍手ランキングです!


「かかる手配りならば、必ず味方敗軍すべし。」 10

徳川秀忠の正妻・崇源院について 9

武蔵坊弁慶借状之事 8
島原の乱の始まり 8

百日参りの犬 7
上杉謙信の青竹 6
如意ヶ嶽城の怪異 6


今週の1位はこちら!「かかる手配りならば、必ず味方敗軍すべし。」です!
後に新発田の乱を起こす、新発田重家についてのお話ですね。
彼は北方の伊達、蘆名、あるいは織田勢力と結び、天正九年から同十五年まで、一事は優勢を保ちつつ六年の間
上杉景勝と戦い続けた人物です。仮に本能寺の変があと三ヶ月遅れていれば、越後上杉氏は滅亡し、越後北部の
大半は、新発田氏のものになっていたでしょう。
こちらはその新発田重家の少年期のお話ですが、そんな後年を思わせる、豪胆で有能な人物として描かれていますね。
上杉謙信の怒りに動じないというのは、逸話的にも、相当以上の表現だと思います。
新発田重家という人物に対する後世の評価がよく解る、そんなお話だと思いました。

2位はこちら!徳川秀忠の正妻・崇源院についてです!
崇源院、すなわちお江の方についてのお話ですが、やはりまず面白いのは、その母であるお市の方が、信長の
実妹かという殊に疑問を持たれているところですね。個人的には彼女に対する織田家の中での扱いを見ても、少なくとも
同母妹では無いだろうと考えているのですが、この手の疑念もわりと古くからあることが解ります。
それにしても、将軍正妻ではありますが、こうやって女性につてしっかりと記録が成されているのは江戸期ならでわですね。
中世では将軍や大名の妻女であっても、下手をすると名前すらわからない、という事がざらにあります。
そういった面もあり、戦国期は「家」の中での役割はともかく、社会的に女性が非常に軽視されていた時代であった、
とも言われます。そんな事もふと思い出したお話でした。

今週管理人が気になった逸話はこちら!武蔵坊弁慶借状之事です!
武蔵坊弁慶という人物、実は史料的には、頼朝と対立し逃亡した義経に従う郎党の一人、としてしか出てきません。
彼が勇猛怪力、かつ義経の忠臣たる荒法師として描かれたのは、室町初期に成立したとされる『義経記』以降とされ、
その描写を元に弁慶のエピソードが能の『安宅』に取り入れられるなどして、一般的にも人気キャラに成っていったと
考えられます。
ここに書かれている「弁慶の借り状」なるものが、はたして本物であったのか、今となっては何とも言えません。
おそらくは弁慶が有名になってから、弁慶の名を仮託して作成された、一種の偽文書であるとは思います。
しかしそういったものが作成され、将軍の元にまで収集されていたと考えると、当時の弁慶人気というものを
生き生きと想像させてくれますね。
また義政の収集した古文書の中に、弁慶が「美僧」であると書かれていたそうですが、それは一体どんな文書で、
弁慶の容姿をどのように描いていたのか、実に興味深いですね。
或いは偽文書であったとしても、そこに、人気キャラ、好きなキャラを美形にしたい、という心性がこの時代にも働いていた、
ともいえ、どちらにしても、この義政の収集文書が今に残っていないことが、実に残念至極ですw
歴史と文書についても様々に考えさせてくれる、そんな内容だと思いました。



今週もたくさんの拍手を、各逸話に頂きました。いつも本当にありがとうございます!
また気になった逸話を見つけた時は、そこの拍手ボタンを押してやってくださいね!
(/・ω・)/
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