643 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/03/25(木) 13:52:15.72 ID:aTzJ8sRQ
聞きしはむかし、伊勢新九郎氏茂という侍が遠国より来て、伊豆国を切り取ったという事が
言い伝わっているのであるが、多説あって何れが正しいのか知り難い。
新九郎は京都より駿河に下り、今川氏親を頼み、牢人分であったが、武略の侍と船にて渡海し、
伊豆国を切り取ったよしを、老人が物語した。しかしこの説は覚束ない。
どういう事かと言えば、例えば私が江戸に在って、近辺の町人の噂話などを今日聞き、あくる日に
その実否を問うと、虚言ばかり多い事がわかる。江戸中の事ですらそうなのである。その上年月を過ぎ、
境を隔てている事について、言いたいように語るのは、世の常の習いであり、しかしそれを聞く人は誠と思い、
筆にて記し置くために、後世の人はこれを治定としてしまう。
兎にも角にもそら事の多き世なのである。
だからといって、今更世の噂を云うわけではない。右の新九郎は、名を得た達人であり、古き文に
一言づつ、数多に書き残されているのを愚老が近年見つけ出し、その趣きを、私は記すのである。
(北条五代記)
北条五代記の冒頭部分
聞きしはむかし、伊勢新九郎氏茂という侍が遠国より来て、伊豆国を切り取ったという事が
言い伝わっているのであるが、多説あって何れが正しいのか知り難い。
新九郎は京都より駿河に下り、今川氏親を頼み、牢人分であったが、武略の侍と船にて渡海し、
伊豆国を切り取ったよしを、老人が物語した。しかしこの説は覚束ない。
どういう事かと言えば、例えば私が江戸に在って、近辺の町人の噂話などを今日聞き、あくる日に
その実否を問うと、虚言ばかり多い事がわかる。江戸中の事ですらそうなのである。その上年月を過ぎ、
境を隔てている事について、言いたいように語るのは、世の常の習いであり、しかしそれを聞く人は誠と思い、
筆にて記し置くために、後世の人はこれを治定としてしまう。
兎にも角にもそら事の多き世なのである。
だからといって、今更世の噂を云うわけではない。右の新九郎は、名を得た達人であり、古き文に
一言づつ、数多に書き残されているのを愚老が近年見つけ出し、その趣きを、私は記すのである。
(北条五代記)
北条五代記の冒頭部分
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コメント
人間七七四年 | URL | -
割と近かろう浄心の時代でさえ諸説紛々だったから、保険として見聞集なるものから引用したテイで書かれてるんだね…
宮下あきらが民明書房の書籍をひもといて男塾を語るような感じ、と言ったら怒られるか
( 2021年03月25日 21:47 )
人間七七四年 | URL | -
伊勢新九郎=呉竜府説ですねわかります
( 2021年03月26日 17:17 )
人間七七四年 | URL | -
そこまで言うくらいなら狭山藩に照会してみるとかできなかったのかなあ
( 2021年03月26日 17:34 )
人間七七四年 | URL | -
『寛政重修諸家譜』によると、狭山北条家の提出した系図では伊勢新九郎は北条時行の玄孫ってことになってて(生まれが伊勢なのではじめ伊勢氏を称し、伊豆・相模を平定してから北条を称したという)、これに対し『寛政譜』編者(林述斎)が「京都伊勢氏の系図だと伊勢貞親の次男が新九郎で、相模の北条の養子になったって書いてあるけど……」って疑問呈してる。
どのみち今の研究成果からみるとおかしいんだけどね(ただ新九郎が伊勢盛定の息子という説は昔からあったとのこと)。
( 2021年03月26日 19:43 )
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