656 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/04/04(日) 14:27:56.52 ID:gauDwLhU
(関ヶ原の合戦の時)堀尾信濃守(忠氏)は大垣の押さえに置かれていたのだが、御合戦と聞いて
関ヶ原へ駆けつけた。彼は旗を二つに分け、夫に馬上の者を添えて、大方の早道程に急いだ。
馬上の者が三百ばかりもあっただろうか。
小雨が降り、霧は深く、人馬の息は煙のようで、旗は少し見えたが、馬上の物の具、指物は全く
見えず、轡の音、馬の足音ばかり聞こえた。
旗は黒地の折掛に、上に白い分胴があった。
鑓鉄砲、弓持ちといった歩行の者達は殆ど見えず、御本陣へ遠々と備えを立てた。
信濃守が参った時には、合戦は既に過ぎていた。
(慶長年中卜齋記)
(関ヶ原の合戦の時)堀尾信濃守(忠氏)は大垣の押さえに置かれていたのだが、御合戦と聞いて
関ヶ原へ駆けつけた。彼は旗を二つに分け、夫に馬上の者を添えて、大方の早道程に急いだ。
馬上の者が三百ばかりもあっただろうか。
小雨が降り、霧は深く、人馬の息は煙のようで、旗は少し見えたが、馬上の物の具、指物は全く
見えず、轡の音、馬の足音ばかり聞こえた。
旗は黒地の折掛に、上に白い分胴があった。
鑓鉄砲、弓持ちといった歩行の者達は殆ど見えず、御本陣へ遠々と備えを立てた。
信濃守が参った時には、合戦は既に過ぎていた。
(慶長年中卜齋記)
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コメント
人間七七四年 | URL | -
逸話だと本当に参加していない様な書き方ですが、一応前哨戦の戦いには参加していますね。
後は長宗我部隊の監視かな?だから正確には本戦には参加しなかったですね。
( 2021年04月06日 20:39 )
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