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週刊ブログ拍手ランキング【04/01~07】

2021年04月07日 16:36

04/01~07のブログ拍手ランキングです!


「あの者を改めるように」 11

武士の子を用心して何に歟可成 10
中務は小姓共ばかりにて 10

宇喜田騒動とその後の波紋について 7
武士の討ち死にすべき所はここにあり 6
信濃守が参った時には、合戦は既に 6

【雑談】家康を潰して黒田が天下を取っていたら 5
慶長四年九月、家康暗殺未遂事件 5


今週の1位はこちら!「あの者を改めるように」です!
関ケ原合戦後の行軍中、徳川家康が相当に離れた乗物の中から、東軍に紛れ込もうとしていた西軍方の落人を見破ったという
お話ですね。
徳川家康という人は、非常に記憶力が良かったという逸話がかなり多く残されている人物で、おそらく実際にそういう能力を
持っていた、或いは周辺からそう言う印象を持たれていたのでしょう。そして記憶力が良いということは、記憶に引っかからない
ものに対し、注意力が強く働くという事でもありますね。この場合、落人の特徴に対し、自分が知り置いていないという所から、
彼を改めるようにと命じたという事なのでしょう。こういった面が、戦国大名としての家康を良く生き延びさせた、とも言えるの
でしょうね。
それにしても、非常に派手派手しい武装で東軍の中に紛れようとしたこの落人も、実に豪胆ですね。ただ逃げるため
だったのか、或いは家康などの首を狙ったのか。
関ヶ原合戦が終わった直後の、未だ騒然とした状況も感じさせる内容だと思いました。

2位はこちら!武士の子を用心して何に歟可成です!
関ヶ原の合戦を前に逸る松平忠吉と、それを是とする井伊直政のお話です。
いかにも「井伊の赤鬼」、直政らしい発言で、逆に忠吉の方が舅の影響を受けたのかもしれません。
それにしてもこの時期の徳川家というものは、忠吉に限らず非常に武張った、戦闘意欲に溢れた人物が多い
印象があります。おそらくはこういった前のめりの好戦性も、周囲からは徳川家に対する「頼もしさ」と認識された
事でしょう。
ちなみに井伊直政が美少年で、衆道によって家康の寵愛を受けたという話、実は同時代的に根拠がなく、おそらくは前田利家と
同じように、「寝所の警備を任されるほど信頼されていた。」という話が、後世誤解されたという事かとも思われます。
あとまあ、直政に限らず若くして出世するとこの時代、「アイツは体を売って出世した」みたいなやっかみがあったようですね。
このあたりは衆道が一般的であった時代的背景を感じます。

今週は同票でもう一つ!中務は小姓共ばかりにてです!
井伊直政と同じく徳川四天王の一人、本多忠勝の関ヶ原での模様について。
関ヶ原で本多忠勝の部隊は、人数比にして凄まじい戦果を挙げており、その武名をさらに高くしています。
しかし、実は本多家の主力は息子の忠政に付けられ、自身が連れていたのは小姓などの近習集団と少数の足軽
のみであった、という記述は、様々に考えさせますね。関ヶ原役における忠勝の位置づけ(基本的に東軍諸将との連絡役
だった)や、当時の本多家の有り様、また家康の軍勢と秀忠の軍勢との関係性について、などなど、色々な考察が
出来ると思います。
それにしても、直政の家臣が馬を貸すべきだったのに貸さなかった、という描写も面白いですね。
本多家と井伊家は別々の家とは言え、徳川家中に内包されている存在なので、同一の会社の別部署、という認識が
現代的にはわかりやすいかと思います。それ故に、この木俣清左衛門という人物に、批判的な描写がされているのでしょう。
様々に考察のしがいのある内容、だと思いました。



今週もたくさんの拍手を、各逸話に頂きました。いつもありがとうございます!
また気になった逸話を見つけた時は、そこの拍手ボタンを押してやってくださいね!
(/・ω・)/
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    カテゴリが■▽▽▽東北・北海道▽▽▽■になっておりまする

  2. まとめ管理人 | URL | -

    ※1
    あらら、ご指摘ありがとうございます。直しておきましたー

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