fc2ブログ

週刊ブログ拍手ランキング【04/08~/14】

2021年04月14日 13:27

04/08~/14のブログ拍手ランキングです!


島津龍伯と、家康公は知人に成りたいと 22

三左衛門が中納言殿を薩摩へ下したことを 11

「幕は持ってきていないのか」との御意も 10
「過分に存じ奉ります」 9

家康の伏見城入城 6
政宗はピンチとなります。 6
伏見の島津屋敷に於いて、 5


今週の1位はこちら!島津龍伯と、家康公は知人に成りたいとです!
この時の家康と島津義久の接近については、翌年関ヶ原が起こるだけに、それに向けた家康の多数派工作の一貫である、
と捉えられがちですね。勿論家康による与党大名の拡大という意図がなかったとは言えないのでしょうが、近年では
島津氏が有する、琉球を通じた明との交渉ルートを活用するため、という説が唱えられていますね。
実際、秀吉死後の日本の最大の課題は、明との和睦でした。朝鮮出兵への報復として、日本に対する攻撃が有るという
風聞もあり、これに日本側は強く警戒し、これへの反応として朝鮮への三度目の出兵という話すら上がったりしています。
貿易船を見ても、明は日本への渡海のノウハウも豊富に有していたわけで、様々な理由で結果的にそうはなりませんでしたが、
当時としては現実的な驚異でした。家康が「源」姓を称し、また関ヶ原後に征夷大将軍に任官したのも、国内というより明との
交渉のためだった、という説もあります。秀吉以前、対明の最高責任者は源姓の足利将軍であり、「豊臣」政権に決定的
悪印象を持っていた明に対し、主権者の交代(過去の復活)を表明して、少なくとも豊臣時代よりはマシであった関係への
復帰を模索した、というような説ですね。
このお話に、義久が「朝鮮馬」を家康に献上したというのも、家康のそういう意図を察した事ではなかったか、なんへ感じたりも
します。おそらくこの時代は、国内の情勢、権力闘争だけを見ても解らないのではないか、なんて話を思い出した
お話でも有りました。

2位はこちら!三左衛門が中納言殿を薩摩へ下したことをです!
関ヶ原のあと、宇喜多秀家の逃亡に従い彼を薩摩に逃した進藤三左衛門正次のお話ですね。
これについて、やはり面白いのは、彼自身も言っているように三左衛門が宇喜多家新参であったという事であり、新参に
大阪の宇喜田屋敷との通信という、非常に重要な使命を任せるという事は、それだけこの時、秀家に付き従う人が居なかった、
という事を顕しても居るのでしょう。実際宇喜田屋敷に潜入はできたものの、その後どうすれば豪姫に書状を渡せるのかも
解っていなかったですしね。
また豪姫から逃亡資金(?)を渡された後、これを持って逐電することも考えるあたり、非常にリアリティがありますね。
これが、著者である板坂卜斎が実際に取材したのか、そういう噂があったのかは解りませんが、いつの時代にもある
人の弱さ、強さを感じさせてくれる内容だと思います。
短いながらもドラマ性のある、そんな内容ですね。

今週管理人が気になったお話はこちら!「幕は持ってきていないのか」との御意も です!
こちらは家康の側に仕える 同朋衆の気の使い方。主君が必要ないと考えていても、仮に必要に迫られたときのために
予め準備しておく、そういった心遣いをする人が家康の周りには居たという事ですね。まあ現在でも、組織において有能な
人というのはこういった事をしているのでしょうし、優秀なリーダーというものも、そういった人を自分の周りに置いている、
という印象もあります。「こんなこともあろうかと」の必要性とインパクトは、今も昔も変わらない、という事かもしれません。
そんな事をふと思ったお話でした。



今週もたくさんの拍手を、各逸話に頂きました。いつも本当にありがとうございます!
また気になった逸話を見つけた時は、そこの拍手ボタンを押してやってくださいね!
(/・ω・)/

スポンサーサイト





コメント

    コメントの投稿

    (コメント編集・削除に必要)
    (管理者にだけ表示を許可する)

    トラックバック

    この記事のトラックバックURL
    http://iiwarui.blog90.fc2.com/tb.php/12947-9af9a8df
    この記事へのトラックバック