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名誉の返答であった

2021年04月19日 17:40

126 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/04/19(月) 14:59:21.84 ID:GCe/x5AD
加藤清正は常陸守殿(徳川頼宣)の御縁者を仰せ付けられた。
東照宮(家康)の仰せに(駿府に於いての事也)
「常陸守の事、清正の婿に申し合わせた上は、諸事子息同然に心得給え。」

清正が退出し御次間へ出た時、彼に御当家(徳川家)の家臣衆が申した。
「只今の仰せについては、定めてご満足であったでしょう。」

清正は云った
「尤も、忝なく存じています。さりながら、昔の秀吉公の御厚恩は忘れ奉りません。」

御当家の老臣達は返答の仕様もなく居た所に、成瀬隼人正(正成)が間に入り
「その思し召し、御尤も至極であります。又家康公の御恩を蒙った者も、またその通りに
家康公の恩を重く存ずるのです。」

と申した。名誉の返答であった。

烈公間話



129 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/04/22(木) 00:58:17.21 ID:Tox4w0bR
>>126
なんで徳川の縁者になったら秀吉の御恩を忘れるということになるの?
秀頼自体が徳川の縁者なのに

130 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/04/22(木) 07:34:02.37 ID:ard2cif5
表面しかモノが見れないのね

131 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/04/22(木) 08:16:09.72 ID:0Qbsx+fU
そもそも秀頼なんて秀吉の種じゃないだろって当時の人も思ってそう
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    徳川方が思いっきり「わかってるな?わかってるな?」って滲ませてきてるんだから
    秀吉の話をして牽制しただけでしょ
    まさか直接的に秀頼の名前出すわけにもいかないでしょ

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