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週刊ブログ拍手ランキング【04/15~/21】

2021年04月21日 16:28

04/15~/21のブログ拍手ランキングです!


これは我家相続の方便である 10

さすが才知有る御老中 9

名誉の返答であった 8
人々の腰に指す刀脇差は、一代一度の用のために 8
井伊直孝産湯の井 8

古田について、上記のように諸人崇敬したのだが 5
秀吉公が伏見より京に御上りの時は 4



今週の1位はこちら!これは我家相続の方便であるです!
これは加藤清正についての逸話を、池田光政が評したものですね。池田家の人物が言えることか、という反応もありますが、
この池田光政、コメントにもありますが、母が榊原康政娘、妻は千姫の娘という、池田家と言うより徳川一門、譜代大名という
意識の強い人物であり、実際岡山藩主時代には、岡山城の鎮守として、東照宮を勧請していますね。これは地方の大名が
東照宮を勧請した最初の例とされます。また儒教、神道に傾倒し、神儒一致思想に基づく宗教政策も実施していたといいます。
そういった池田光政の個性から考えると、彼がいいたいのは、秀吉の旧恩に引きずられたり、それによってあやふやな
態度を取るのではなく、大局を考え徳川公儀への忠誠を第一とすべきだ、という事ではないかと推測できます。
それはそれで、光政の時代の大名として、模範的な姿勢であったとも言えるでしょう。

まあそもそも、加藤清正の豊臣家の旧恩対する忠義云々が、多分に後世の脚色の面が強く、実際には彼も、
徳川の親族としての立場を重視していた、とも言われます。結果として肥後加藤家が滅びたため、「徳川への忠義を
二の次にしていたから、そのようになったのだ」という言説が広まったのではないかと思われます。
時代性を踏まえた上で読んでいくと、様々に興味深いものが見えてくる。そんな内容だと感じました。

2位はこちら!さすが才知有る御老中です!
知恵伊豆こと松平信綱の、島原の乱におけるお話ですね。
書状の表に、それを見る将軍家光がおそらく最も気になっているであろうことをあらかじめ書いておく事で、将軍の御意に入る、
という内容です。こういう事をしなくても、それを送る使者にそのことを伝えるよういい含めておけば済む話では、とも
思ったりもするのですが、或いは一種の機密扱いだったのかもしれません。ともかくも、松平信綱がこういった気遣いに
優れた人物であった、という印象が強かったのでしょうね。
やはり面白いのは、彼のこういった気遣いの良さを、梶原景時と比べている点ですね。
この時代でもやはり、梶原景時には一種の佞臣というイメージが有ったと考えられ、信綱に対する一種の皮肉として
読めなくもありません。しかし一方で、大変な能臣であったという認識もあり、信綱記の性格などから、素直に読めば、
プラスイメージの認識を反映している、という事なのでしょう。
いろいろな読み解き方も出来る、そんな内容だと思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!人々の腰に指す刀脇差は、一代一度の用のためにです
こちらも松平信綱のお話ですが、幕藩体制を支える日本柱とも言える、「大名」「旗本」それぞれの待遇についての内容と
なっています。旗本の側から見て、将軍家による大名への待遇は過大で不公平だ、という意識が有ったというのも
面白いものです。おそらく大名側から見れば、逆の感想もあったのでしょうが。
そして、それについての信綱のたとえ話の中で、「刀脇差を10人中9人は一生用いない」という内容が有るのが、
非常に面白いと思います。
かつて、刀脇差は武士にとって、それこそ日常的に用いられる道具でした。しかし時が流れ、この時代は島原の乱なども
ありましたが、もはや普通の武士にとって一度も用いないことが普通、という時代に成っていたということですね。
これは端的に、江戸幕府の成果、といって良いのだと思います。或いはそういった「成果」をさりげに入れておくことで、
将軍家の大名、旗本への待遇の正当性をあらわした、という事なのかもしれません。
これも時代性を考えながら読むのが面白い、と感じました。



今週もたくさんお拍手を、各逸話に頂きました。いつもありがとうございます!
また気になった逸話がありましたら、そこの拍手ボタンを押してやってくださいね!
(/・ω・)/
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