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可児郡池田の城主 池田織部正輝家

2021年05月01日 18:39

144 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/05/01(土) 17:32:56.21 ID:9P2krZ2J
可児郡池田の城主 池田織部正輝家

当家も明智の一家にして、元祖は明智遠江守光朝の三男・三郎左衛門尉輝継が
初めてここに住し、それより以来、輝家まで当城主なり。

右の織部正は光秀に属し、後に城州伏見の城を守り、天正10年6月14日、
羽柴の大軍を引き受けて討死しける。

右の他にも明智の一家にして、隠岐・溝尾・奥田・三宅・藤田・肥田・池田・
瀬田・柿田・妻木などと申し、数代血脈の一門多くして皆ことごとく嫡家光秀
に属し、後には天正10年、山崎の戦にて滅びたりぬ。

明智光秀は信長に仕えて、わずか15ヶ年にして60万石余の大名となりぬ。
按ずるにかくの如く良き家臣等が皆もって一門たる故、身命を捨てて働きある
ために、自然と武功も優れてありしと見えたりという。

――『美濃国諸旧記』



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    「明智の一家」って言ってるけど明智含めてみんな土岐氏の庶流だよね
    みんな仲良く桔梗紋
    山崎で滅びず江戸時代でも繁栄してる一族も混じってるし

  2. 人間七七四年 | URL | -

    光秀の出自ってよくわからないけど
    それは家臣たちも同じだよね

  3. 人間七七四年 | URL | -

    >数代血脈の一門多くして皆ことごとく嫡家光秀に属し
    そんな大族の嫡男が若い頃の行状不明ってどういうことよ

  4. 人間七七四年 | URL | -

    ※3
    この時期にちゃんとした伝承が残ってる人の方が少ないけどね
    近世大名も江戸初期に提出した由緒を根拠にしてるけど怪しいものばかりだし

  5. 人間七七四年 | URL | -

    「北南それとも知らずこの糸のゆかりばかりの末の藤原」ってね

  6. 人間七七四年 | URL | -

    ※3

    大族の嫡男の若いころの行状どころか奥羽の葛西氏は鎌倉幕府の奥州総奉行の大身大名なのに、
    宇都宮仕置で改易されて文書残っていないので、
    小田原開城まで大名として残っていたのにもかかわらず当主歴代が誰だったか、
    それぞれ歴代の本城がどこだったかすら不明なんだぞ

  7. 人間七七四年 | URL | -

    南部氏なんて古代から明治まで残ってるのに家系図はっきりしないしな

  8. 人間七七四年 | URL | -

    ※6
    なんか寺池と石巻に分裂してたとの話は聞くな
    ちなみに石巻城(日和山城)は海に面した山という天然の要害で
    大震災の時も津波から多くの市民を守ったそうな

  9. 人間七七四年 | URL | -

    ※8
    日和山は城としてはいい土地らしく、政宗も関ケ原以後の本拠を
    本島は現仙台ではなくて日和山に置きたかったんだー、ってのが
    宮城地元では伝承されていた
    石巻は流通のかなめでもあったしな

    でも、日和山に伊達藩の本拠置いて石巻に城下町作って明治以後もそれを踏襲して
    東北の中枢都市としてあの低地に仙台の代わりの100万都市ができてたら、
    3.11の津波の被害がどうなっていたか

    東北の横浜を作ろうとした(?)明治期の野蒜築港も失敗していて正解だったのかもしれない

  10. 人間七七四年 | URL | -

    ※9
    石巻は立地が奥州街道からかなり東にずれていて
    陸の孤島とまでは言わんが舟運ありきの街だから
    現代の仙台ほどには発展してなかっただろーな
    山口に対する萩みたいな感じになったと予想

  11. 人間七七四年 | URL | -

    >>野蒜築港失敗
    あれは予算と現地調査不足と工法の失敗も重なったからってのもありますけどね
    あの大津波で保管してあった貴重な資料も流されてしまったみたいで残念です

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