fc2ブログ

漢城のこと、唐軍等の武装のこと

2021年05月09日 16:53

708 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/05/08(土) 23:32:21.87 ID:8ZD01rvz
この日(文禄元年十一月十七日)もあらまし漢城を見物した。大門の様子は五尺ほどの切石で
組み上げ、高さ三間、上に二階があり組物ゑどりの見事さは言葉に尽くせないほどだ。
門口は、丸くまた周囲五抱えほどの鐘がある。このような門が七つあって外郭十三里。峰から谷まで
全て石垣と築地でめぐらしてあり、いずれも切石が使ってある。その手際の見事さは例えようもない。
また内裏は王が退かれるとき自ら放火したそうで、その見事さは見ることができなかった。
しかし門が残っていた。六間ほどの広さで上に二階造りの立派な座敷がある。また門柱、戸辺には
鉄が貼り付けてあった。どれも素晴らしい絵模様がついている。鳳凰と白鷺、牡丹と白鶴である。
天井には龍が身をくねらせて寝ている。生きて動くように見え、恐ろしいほど。門の上に五抱えほどの
大鐘が吊られ、大太鼓もある。池には島がある。島の大きなものには石の柱で屋形が作ってあるように
見えるが、柱だけが残っている。その島には広さ三間ほどの石の反橋があり、欄干も石でできている。
池には二十人くらい乗れそうな船が二隻浮かんでいる。また掘があり、堀端には象、獅子、その他
唐の動物が石で彫り付けてある。大きな切石に鉄の輪が打ち付けてある。王の御代に象を繋いだのだと
唐人は言っていた。どれも日本の都に聚楽を添えたほどだと大谷刑部少輔殿が仰せられたそうである。
吉見家朝鮮陣日記』(毛利家の吉見元頼が配下の下瀬頼直に記録させた日誌)

「日本戦記 朝鮮役」より

709 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/05/08(土) 23:39:34.04 ID:8ZD01rvz
唐人の武具は馬上のものは半弓であり、足軽は五尺ほどの棒を振り回すのである。なかには長さ二間ほどの竹に
熊手がある。これは城がかりの道具である。鉄砲、台無(仏郎機砲か)はいうまでもなし。
出で立ちは漢南(華南兵)は総じて赤し。甲は白みがき。兀良哈(遼東兵)は総じて黒く、
朝鮮人は総じて白なり。いずれも三色のいでたちなり。
城攻め(蔚山)の次第は朝は六つ刻あたりから晩は五つ刻までであった。
上山助右衛門高麗陣覚書』(毛利家臣の記録)


※白磨き(日本甲冑のように塗装しない白銀色。甲冑用語としてもいわゆる西洋甲冑と同じ色合いをこう呼びます。)



スポンサーサイト





コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    遼東兵の得物として有名な三眼銃がないな
    あんまりインパクトなかったのかな

  2. 人間七七四年 | URL | -

    大規模建築じゃまだ日本に見劣りしてないんやな、この時代は
    この先の停滞は、やっぱり土地の生産性の低さが最大のネックか。たとえ儒教の悪影響がなくても豊かになりようがないもんな。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    偉大な建築物の下には無数の庶民の骨が埋まっている
    まあ朝鮮に限った話じゃないけどね
    ピラミッドからノイシュヴァンシュタイン城までみんなそう

  4. 人間七七四年 | URL | -

    何だ突然に?
    触っちゃいけない人?

  5. ※3 | URL | -

    ※4
    すまんすまん
    王城がえらく立派だっていうから
    「でもそれって国民を搾取して造ったもんですよね?」
    って言いたかっただけなんだ

  6. 人間七七四年 | URL | -

    ※2
    生産性がどうこう以前に戦慣れしてないうえに風習が違うから
    農民たちが戻ってくるタイミングとかがつかめてないんだよ

  7. 人間七七四年 | URL | -

    近世朝鮮は世代が進むにつれ官僚・貴族の縁者=働かない人間が増えていくから、昔なほど建物も立派なのは当然なのかも知れん

  8. 人間七七四年 | URL | -

    日本も戦前や江戸時代はハゲ山ばかりだったってのがよく言われるけど
    朝鮮は日本よりも寒冷で自然回復力に劣るうえに野放図な伐採してたから
    環境崩壊で生産力が年を経るごとに減退とは言われてる

コメントの投稿

(コメント編集・削除に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://iiwarui.blog90.fc2.com/tb.php/12980-6018d922
この記事へのトラックバック