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週刊ブログ拍手ランキング【05/06~/12】

2021年05月12日 16:25

05/06~/12のブログ拍手ランキングです!


船より突き落とされた 11

漢城のこと、唐軍等の武装のこと 11

子か親かは知らず、子とは申しがたき者であった 10
大殿様は御討死されてはおりません 10

ヒハヒハして難儀をしたのだ 9
岡野紅雪という人が有り 9
すぐに恒興公は 5


今週の1位はこちら!船より突き落とされたです!
長篠の合戦での青木一重の活躍。コメントにも有りましたが、確かに「ズゴックかよ」という感になるお話ですねw
水中を敵船に遅れず泳いで追尾したというのも、並々ならぬ武芸を感じさせます。
この青木一重という人は後、天正元年に徳川家を出奔し丹羽長秀、豊臣秀吉に仕え、特に秀吉の下では
黃母衣衆、さらに親衛隊である七手組の組頭の一人にも抜擢されており、このような武勇の履歴が有ると考えると、
それも尤もな事だと納得してしまいます。
強靭を謳われた三河武士の代表的人物の一人、と呼んでよい青木一重に相応しいお話だと思いました。

今週は同票でもう一つ!漢城のこと、唐軍等の武装のことです!
漢城(ソウル)の宮城の様子、また日本軍と戦った軍勢の軍装の内容が良く描かれていますね。
日本の城郭は戦国期を通じて大きく変化を遂げますが、朝鮮役においてさらなる変化を成したと言われます。
いわゆる「倭城」の建設で、日本中の大名に近世城郭のノウハウが伝わったこともそうですが、さらに朝鮮半島の
建築物からの影響も受けたとされます。滴水瓦などはその典型でしょうね。(逆に朝鮮は日本の築城術、特に
石垣の形状に強く影響を受けたとか)
そこも、このように朝鮮の大規模建築を実際に見ることによって、取り入れるべきと考えられたものを、どんどん取り入れて
いったのでしょう。
また、騎馬の者の武器が半弓というあたり、騎馬民族の軍制の影響を感じさせますね。
地域によって軍装の色を変えているというのも、当時の明の軍制を考察する上で興味深い指摘だと思います。
朝鮮の役について、軍事的観点以外から見ることの出来る、そんな内容だと思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!大殿様は御討死されてはおりませんです!
池田輝政にあえて偽りを言うことで、その命を救った番大膳景次のお話ですがが、レスやコメントにもあるように、
この事によって番景次が、輝政一代の間は一種の冷や飯を食らわされることになります。
ただ個人的に、この場合に見たいのは、だからといって番景次が、池田家を出奔するようなことも無かった、という部分ですね。
ここを見てくれる人にはおおよそ常識だと思いますが、この時代の武士は主人からの待遇に不満が有れば積極的に
出奔します。むしろ不当な冷遇を受けたとみなした場合、出奔することが武士としての常道であったと言っていいでしょう。
であるのに景次はそのまま池田家に残ったという事は、輝政も内心は感謝をしていても、当時の倫理的、体面的に、
父親の「弔い合戦」を阻害した景次の行いは許されざるものであり、少なくとも自分一代の間は「恨んでいる」というポーズを
取らざるを得ず、景次もそれを理解していた、という事ではないかなと想像したりもします。
輝政が本当に恨んでいたのなら、息子の利隆が一転して重用するという事も難しかったのではないかな、と考えたり。
南部越後について
このお話の家康への弁明の使者も、番景次ですね。
いろいろ想像することが出来るお話だな、なんて思った逸話でした。



今週もたくさんの拍手を、各逸話に頂きました。いつもありがとうございます!
また気になった逸話がありましたら、そこの拍手ボタンを押してやって下さいね!
(/・ω・)/
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    >当時の明の軍制
    この時代まで下ると、明軍はほとんど私兵(家丁)群の連合体ですね。
    文禄慶長の役に登場する明の将軍は一種の傭兵隊長ばかりで、袁崇煥のような官人がいない。
    ヴァレンシュタインやティリーが活躍した神聖ローマ帝国に少し似ています。
    軍装のカラーリングに個性が出るのはそのせいではないでしょうか。

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