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早川弥三座衛門の先見

2021年05月25日 17:10

232 名前:1/2[sage] 投稿日:2021/05/25(火) 15:57:25.60 ID:0lkDvxNO
早川弥三座衛門の先見

小牧山対陣の時、秀吉が『中入り』の策を立てて失敗し、池田(恒興)、森(長可)を戦死させたことは
前に記したため、大略ご承知であろうが、この時、徳川家康の内部に関する異聞がある。
この事は山鹿(素行)先生の物語として、山鹿流に伝わった口授であるから、世上では知らぬ話である。

先生曰く、大軍を引き廻すこと至って難しいものであるが、羽柴(秀吉)殿は五万六万の人数を自由に
引き廻される大将である。小牧山に東照公(家康)御籠もりになられた時、秀吉は五万ばかりの人数を
七、八段に立て小牧を引き包むように人数を勧められた。これに東照公は大いに急かれて
「平八!平八!」と本多忠勝を頻りにお呼びに成り、

「秀吉のやりようは我等を踏みつけにした仕形である。我等がこの城にあるのを知りながら、
かの体は何事ぞ。平八、出て蹴散らすように。」

との上意であった。この時、酒井忠次は脇目も振らず秀吉の人数の進退を見ていたが、
「平八出るな!」と、忠勝を制した。東照公は「平八早く出て追い散らすように!」とひたすら
仰せに成る。平八郎も如何すべきか途方に暮れた体であった。

その内に秀吉の旗本より黄母衣の使武者が七、八騎乗り出し、先手に命を伝えた様子が見えた。
すると忽ち、貝の音高くあがり、一の備えは左に押し廻して退く、その次へ二の備え入れ替わると
見る中に、これも左に押し廻す。その跡へ三の手また押し出す。斯く段々に進みて繰り引きに引く
様子は、あたかも糸を付けて引いているようで、この人数の遣い方には、徳川方の人々も感心して
鳴りを鎮めて見物していた。

東照公は忠次に尋ねた、「その方は敵の人数が引き取ることをどうして存じていたのか。」
本多忠勝を制していたのは、それ故だったのだ。忠次は云った

「(早川)弥三座衛門が申したのです。あの人数は必ず引き取ります、と。
彼は甲州の言葉で『隠れ遊び』という軍法によく似ていると見切りました。それ故に平八を止めたのです。」

東照公はその弥三座衛門を呼ぶようにと云い、彼を召した。この早川弥三座衛門は甲州武士にて、
馬場美濃守の部下であり、長年教訓を受け、軍事にかけては最も老巧の人であった。

233 名前:2/2[sage] 投稿日:2021/05/25(火) 15:57:50.30 ID:0lkDvxNO
東照公は彼に命じた
「只今、敵の人数は引き取ったが今後の様子は覚束ない。楽田、羽黒辺りへ言って見て参れ。」
早川畏まって、一騎敵陣近くまで乗り寄せ、篤と見届けて立ち返り、

「敵は味方を兼ねたる体にて候」

と云う。東照公「味方を兼ねたる敵とは何事を言っているのか。」とお尋ねになると、
「されば、敵は土手を築き柵を結い廻し厳しく備えを固めております。これを『陰の敵』と申します。」
東照公これを聞かれ

「ということは、敵は我等を柵際に引き寄せ、鉄砲にて撃ちすくめんとする手立てをしていると
いうことか、思いもよらぬことだ。」と仰せになった。これに早川

「いやいや、信長公が長篠にて柵を付けて甲州勢に打ち勝ったのは近年のことであり、天下の人、
皆知る所ですから、今更その故智を真似て勝利を得ようとは致さないでしょう。
これはおそらく、我々を憚っての用心でありますから、『味方を兼ねたる敵』と申すのです。
楽田、羽黒辺りにて合戦は無いでしょう。この小牧山を攻めることも勿論無いでしょう。」

「では今度は戦は起こらないのか、又は何方にて始まるか、その方はどのように考えるか。」

「長久手山辺りにて、御合戦になるでしょう。その仔細は、池田の聟の森武蔵は、先日八幡林にて
打ち負けたため、是非にもこの遺恨を晴らさんと考えているでしょうし、また池田は賤ヶ岳にて、
秀吉に疑われた事があり、なにか一手柄現して秀吉の機嫌を取りたいと考えています。池田、森が
このように張り切っている以上、殿様(家康)がここに居られるのを幸いに、岡崎の御城下へ押し込み、
焼き働きなど仕るでしょう。秀吉としては、他に手段もありません。」

そう述べると、東照公「これは能き心付なり」とて、篠木。柏井辺りの重立ちたる百姓に金銀を遣わして
内通を頼み、森の陣に間者を入れ、近辺に巧者の物見を出し置いたところ、池田、森が忍びやかに
篠木、柏井に一泊し長久手の方に押し通ったのを。百姓たちが直ちに小牧山に内通した。ここにおいて、
小牧より先手、旗本の二備えの人数を密かに出して、池田、森を追跡して大勝利を得たのである。
全く早川の巧者の見地によって無類の御勝利となる云々、とある。

この事、徳川家の歴史には無き所である。

伝説研究・歴史之謎

真偽不明ながら、小牧・長久手の戦いに関する伝承。



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | 8kSX63fM

    どういう風に起こったのか不思議な伝承だな・・・

  2. 人間七七四年 | URL | -

    出撃したらいいのか悪いのか困ってる忠勝が面白い

  3. 人間七七四年 | URL | -

    大正期の書物が出典みたいね
    あの時期は未発見の文書にことよせた歴史の創作がめちゃくちゃ激しい時期だからなあ

  4. 人間七七四年 | URL | -

    にしても、投稿者さんにケチつけることになるけど、本スレでも以前指摘されてたんだけど(原文ママ)と言うか出典元丸コピペみたいな内容はどうにかならないのかなぁ?
    何か上手く言えないけど変な気分。

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